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[コメント] 蜘蛛巣城(1957/日)

ワンカットの魔力。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 本作を鑑賞していてまず驚いたのは、カットとカメラアングルの工夫だけでここまで面白い「画」を作れるものなのかという点だ。話の前半、三船と千秋が森の中で老婆に出会うのだが、その老婆の着物が風に煽られたかと思った途端にパッと消え去ってしまう。どこでどう切って編集したのか、それとも何かのトリックなのかと思っていたらその次のカットも凄かった。老婆がいなくなったあばら家に入る二人、それを追うカメラ。二人が「?」と思って振り返るとカメラが引くと、今度はあばら家が無くなっている。もちろんここまでワンカット。これと同じ手法は千秋実の亡霊(無論三船にしか見えない)が突然現われる場面でも用いられており、始めて見た時はかなり驚かされた。

 「シェイクスピア」そして「能」という元々舞台の上にあったものを、映画というものに転換する作業において、黒澤も熟考したに違いない。舞台というのは場面上のものが隅から隅まで全て観客に見えているものだが、映画はカメラの据え位置やアングルによって写す箇所を限定することが可能になる。つまり先に挙げた手法は、どう考えても映画にしか出来ない芸当なのだ。そしてもう一つ気になったのが、黒澤は本作を演出するにあたり、次第に狂気の沙汰になっていく主人公の心情描写をひたすら画や台詞を用いており、BGMや効果音の仕様を極力抑えている。ここもやはり、舞台というものを意識しているからであろう。そうでなければ、山田五十鈴の布ずれ音を普通ああまで強調するだろうか。

 映画を観させながらも舞台ということを意識させる……。こうまでパワーのある変化球を投げられる人間は、黒澤ぐらいだ。

(評価:★4)

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