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[コメント] キング・コング(2005/ニュージーランド=米)

監督のコングに向ける「愛情」が強すぎて、コングのコングたる所以はどこかに置き去りにされている。
ゆーこ and One thing

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 この作品のコングは、監督の思い入れの強さを反映してか、最終的にはほとんど人間と同じレベルの存在になります。美しい女性と黄昏時の夕日を眺め、氷の張った池で一緒に踊っちゃうくらいですから。

 私はここに根本的な間違いがあると思います。コングの本質ってのは突き詰めると「異形の怪物」ですからね。姿は似ているけど、アフリカの奥地や動物園にいるゴリラが巨大化した存在ではありませんから。

 相手がゴリラだったら同じ霊長類同士で理解しあえるかもしれませんけど、異形の怪物と人間の心が通い合うとはとても思えないんですけど。

 正直言って、ここまで人間とコングを並立する存在として表現されると、髑髏島で土人に崇められる神秘の獣を使う必要がなくなり、幼少の頃に乗っていた飛行機がジャングルに墜落して、サバイバル生活を送っていた青年を相手役にしても話が成り立ってしまいます。

 そういう姿勢でストーリーを進めたおかげで、最終の図式は美女を取り合うコングVS脚本家というおかしな展開に。この2人で「VS」の図式になるか!

 こうするとアンはどっちかを選ばないと収まりが付かないわけで、神獣と人間の女性が結ばれるなんてこの作品のラストにはありえないし、最終的にコングは死ななければならないので、ラストシーンは「濃密な関わりが明らかにコングより少なかった脚本家と抱擁」といういびつな地面に着陸することになりました。

 1933年の旧作のように徹頭徹尾人間とコングの心情をクロスさせないのも少々やりすぎかと思いますが、コングの神秘性を剥ぎ取り、その存在を人間レベルにまで引きずりおろす演出には非常に疑問を感じました。

(評価:★3)

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