[コメント] キング・コング(2005/ニュージーランド=米)
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これだけ迫力のあるアクションシーンが、これだけ詰め込まれていることが驚異的だ。髑髏島に上陸してからのシーンは、手に汗握るスペクタルの連続。3時間の上映時間がディスアドバンテージにならないのは、『ロード・オブ・ザ・リング』3作で長時間映画のコツを掴んだピーター・ジャクソンだからか…。盛りだくさんの大迫力シーンには、ピーター・ジャクソンのパワーが宿る。だた迫力があるのではなく、他の誰もやらないくらい豪快なのだ。観ていて口を空けてしまうほど驚くシーンの連続。『ブレインデッド』を撮っていた監督に資金力が加わると、こういうとてつもないシーンが出来上がってしまうわけで、ある意味恐ろしい。
しかし、内容にはやはり納得が行かない。33年版『キング・コング』は確かにラブストーリーの要素を含むが、それを過剰に注入し過ぎると、今回のようになるのであろう。アンにコングを理解する感情を持たせると、意味が変わってしまう。コングのアンへの愛は、永遠の片想いであるべきである。オリジナルにおいて、純粋に女性に恋をしたと取れるコングに対して誰一人理解などせず、悲劇的に死を迎えたコングを観て、僕は悲しみと同情を感じた。それはまるでモテない男がどんなに献身的に美女を思っても報われないかのようだった…。
今回のように露骨な理解の感情を含ませてしまうと、オリジナルと同じ結末に疑問符がついてしまう。どこにも逃げ場がなかったとき、さらに逃げ場のないエンパイアステイトビルに登らざるを得なかったという皮肉、それも当てはまらない。今回のコングは、エンパイアに登らなければいけない必然性がなかったのだ。美しい朝日を見るために高みへ、なんて言い訳はあまり聞きたくない。
そして、結末もコングだけが死ぬというのは不自然にも思えてくる。アンの愛情を描いてしまったとなると、やはり最後は後追いで地上約500メートルからアンは飛び降りなければならなかったのではないか。アンの気持ちはジャックにはなく、コングに向いていたように描かれていた。オリジナルと同じラストに合わせようとしたばかり、不自然さが際立つ結果となった。ラブストーリー要素を増やすことと、オリジナルに忠実にリメイクすることが、同じ線上にはなかったのだ。
もし、アンが飛び降りるラストだったら、それを観客が悲しむための土台となる描写はきちんとしてあった。エンパイアからの落下は悲劇を演出できたはず。オリジナルと違うラストシーンだったら戸惑いもあっただろうが、愛を追求したいならば、ハッピーエンドが絶対認められないこの映画の場合、ともに命を落とすしかなかったはずだ。
物語性追求のために、オリジナルを変更するといった思い切りもほしかった。アクションシーンは思い切りが良いけれど、物語の面ではピーター・ジャクソンにも迷いがあったのでは、とも感じてしまう。
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