[コメント] 単騎、千里を走る。(2005/香港=中国=日)
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農村のいち妊婦が村長の暴挙を訴るために、わざわざ大都会にまで出向き官僚制度に執拗に食い下がる『秋菊の物語』。極貧地区の代用教員の少女が褒美ほしさに、生徒を追って初めて訪れた都会でテレビ局に押しかける『あの子を探して』。本作は、チャン・イーモウのこの過去の傑作と基本的に同じ物語構造を持っている。
この2作に共通する面白さは、止むに止まれぬ事情で未知の土地へ出かけ、数々の障害に出会うたび滑稽にみえるほど執拗な頑固さで人や社会に染み込んだしがらみや矛盾を乗り越え、主人公が自分の意思を遂げようとするうちに、私たちの中の常識やこだわりの危うさが透かし絵のように見えてくるという面白さだった。
だが、今回の作品では単身未知の国に乗り込んだ日本人と、その唐突で頑固な申し出を受ける中国人との間に言葉以外の障害は何もない。高田(高倉健)と現地の人々の間に存在する筈の障害は、あらかじめ了解されていたかのように取り除かれている。そこには何の軋轢も生じず、ただ当初から計算され準備されていた感動物語が、これまた約束どおりの涙の量を持って結末を迎えるだけである。
何も、両国の過去の不幸な問題を蒸し返せと言っているわけではない。ただ、父と子という万人が有する普遍的関係に何がしかの映画的感動を見出すために、せっかく準備した日本と中国という舞台において、何が同じで、何が異なるのかという世界観や歴史観、社会や文化の壁を描く映画的苦労を避けて通るなら、そこには痩せ細った物語がただ横たわるだけで、その映画が面白くなる筈がない。
チャン・イーモウ監督は、そんなことは百も承知のはずだろう。資本というしがらみや矛盾から開放され、再びチャン・イーモウによるチャン・イーモウたる映画作りが再開されることを切に希望する。
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