[コメント] どですかでん(1970/日)
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黒澤を年代順に今と近い順に見ていってるが、デルスウザーラがみられなかったので、次はこれになる。
六ちゃんは今で言う発達障害で、これは障害者ものか、というとそうではない。はじめと最後に出てくるこの映画の題名になった、どですかでん、はいわば黒澤の自画像である。黒澤は鉄ちゃんなのだ。天国と地獄の身代金の受け渡し、まあだだよの余興で鉄道の駅を全部いう男のエピソード。そしてこの六ちゃんの扱い。黒澤の事実信仰と完璧主義が六ちゃんに人格化している。しかし完璧なマイムで示されれるのは見えない電車なのだ。
描写の質は戦後文学の匂いがすごくする。椎名麟三とか。野間宏、坂口安吾。あるいはロシアの小説群度ドストエフスキー・ゴーリキ・トルストイ、、、。男のインテリがみなだらしなく女が生命力溢れている描写が多い。松村達雄に至っては、これが高等遊民の成れの果てかと思うと凄まじい悪意を感じる。卑劣でどうしようもないヒモ男を演じさせている。田中邦衛と井川比呂志の酔っぱらいの演技の完璧さはどうだ。あまりに完璧すぎて全然よっているように見えない。六ちゃんのパントマイムの完璧さに息のつまる思いがする。これをずっと見せられるのかと思って我慢していると、
全身チック症の伴淳の芸にやっと救いを見出す。そして奈良岡朋子だ。これまた凄まじい演技で、このあたりは純文学でもベケットとかの前衛劇になってくる。これは砂の女かと思ったりして。庶民のたくましい生命力を描くと思いきや、インテリの好む絶望の描写のオンパレードだ。救いは南伸介、善意の御隠居、ぐらいのものだ。黒澤は絶望していたんだ。きっと。
1970年。時代は三島由紀夫VS東大全共闘。ATGに日活ロマンポルノに突入する。世界のクロサワが絶望するのは当然だ。なんともやりきれなさの残る映画だった。
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