[コメント] プルーフ・オブ・マイ・ライフ(2005/米)
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原作は舞台劇のようだが、それを映画化して何か進化させられたのだろうか。台詞は優れているとは思ったが、僕は映画にするなら台詞ではなく映像で語ってほしいと考えているので、台詞ばかり良くても仕方がないと思う。数式を使った視覚的な表現といったこともできるのではないか、と思う。グウィネス・パルトロウは精神的に撹乱している主人公を演じきっていたが、彼女の悲しみや苦しみを映像から伝える演出が施されてないのが残念。映像により雰囲気を作れるのが映画なのだから、台詞と演技だけの真っ向勝負をする必要はまったくない。
また、世紀の証明を父か娘かどちらが成し得たかが焦点になる話の中で、その証明の実態があまりにも抽象的だったのが致命傷に思えた。そりゃ、そんな証明を理解できる観客の方が少ないだろう。少ないどころか、本当に“世紀の証明”ならスタッフ、キャストも理解できるはずがない。しかし、ストーリーや人間描写に絡めて展開させる上で、証明なり数式を比喩として人物描写に入れ込む必要がある。観客に感覚的にでも良いので「あー、なるほど」と感じさせないといけない。この映画の場合、台詞ばかりで話を展開させるから、証明と登場人物の感情が結びつけられない。舞台の作者がそのまま脚本に名を連ねるが、これは映画に慣れた脚本家にリライトさせた方が良いのではないかと感じた。
物語の題材は非常に難しいものだと思う。だからこそ、舞台的な方法ではなく、ちょっとした工夫がほしかった。他人からクレイジーと思われるいわば“ひきこもり”の女性や、その父親の天才と狂人の間のような数学者は感情移入もしがたい。一番一般人に近いジェイク・ギレンホール演じるハルの視点から語って、観客との目線を近づけるなど、違った見せ方もできたであろう。
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