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[コメント] ホテル・ルワンダ(2004/伊=英=南アフリカ)

見終わった後、傍観者としての多少の同情と反省が心の中に頭をもたげても、やはり平気でディナーが食えてしまうほどにしか罪悪感が起きないのは、この映画に殺された側の当事者としての思いや声が欠落しているからだろう。本当の痛みは被害者自身にしか描けない。
ぽんしゅう

ルワンダで悲劇が起こったという事実は第三者の手による映画でも発信することはできる。ただ、それは形をかえた報道であり、本当の悲劇の意味や痛みを伝えるためには、映画製作そのものが殺された側のツチ族の手によってなされる以外にはないのだ。

もっと単純に言えば、ツチ族出身もしくはルワンダの作家にしかこの悲劇の本質を映画にすることはできないということだ。事が世界的構図の中で起きている漠然とした「戦争」なら話は別かもしれないが、ここに描かれているのはその土地の歴史が生んだ人間の心の構図に根ざした悲劇なのだ。

たとえば宗教観の差異が起こすイスラムの紛争は欧米の作家には理解できなし、アメリカ国内の民族間の軋轢を我々日本人が映画にすることもできない。さらに、日本と中国や朝鮮の歴史が生んだ、それぞれの状況と心のわだかまりは、それぞれの当事者の立場と論理でしか描けないことを私たちは実感しているはずだ。

ただ、それを今のツチ族の民に求めるのは酷だろう。彼らが、そんなすべも財も心のゆとりもまだ持ち得ていないことは想像できる。彼らが、彼らの声で、彼らの痛みを発信できる日がきたとき、初めて我々は悠長に晩飯など食べていられなくなるだろう。

そのとき初めて、遠く離れたアフリカの地にも、私たちと同じ罪な人間が存在していることを実感し途方にくれることだろう。その罪悪感と無力感の共有こそが、わずかな希望の兆しであり次のステップへのスタート地点なのだ。

世界中の痛みを持つ当事者が、自ら声を発するすべを持ち得たとき、やっと人は自分の頭で物事を考えはじめ、世界中いたるところで、それぞれの方法で罪を請いはじめることだろう。私は「映画」というメディアにそんな夢を託し続けたい。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)りかちゅ[*] takamari[*] デナ ペペロンチーノ[*]

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