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[コメント] ミュンヘン(2005/米)

間違いなく、本作はスピルバーグ以外には作り上げることが出来ない作品です。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 スピルバーグはエンターテインメント作家として主に知られるが、彼は既に二度の監督賞オスカーを得ていて、それぞれ『シンドラーのリスト』(1993)と『プライベート・ライアン』(1998)はエンターテインメントとは多少違ったベクトルにある作品だった。スピルバーグ監督自身、エンターテインメントを造る自分と、そうではなく、メッセージ性を強く持った作品を同時に作ることで、自分自身のバランスを取っているのだろう。スピルバーグ自身は「これを撮るためにエンターテインメントを撮ってるのだ」とは言ってない。そのどちらも彼にとっては大切なのだろうから。

 それで本作は実話をベースに、ユダヤ人のアイデンティティを描いた作品になっているのだが、本作でとても興味深い一つのキー・ワードがある。“home”というのがそれ。この言葉は本当に良く出てくる。会話の中で、あるいは心の中で…

 homeとはなんであるか?それは二つの意味にとらえることが出来るだろう。一つには文字通り自分を待つ家族のいる“家庭”の事。本作はかなり長い時間をその家庭を描くことに費やしている。そこには新しい命があり、どんなに自分がボロボロになっても受け入れ、癒してくれる存在がある。そして、その家庭が壊されることをテレビは伝えてくる。その辺を克明に描くことで、より“home”という意味を印象づけてくれる。

 そしてもう一方のホームとは、“国家”の事。特に国家という言葉の重さをイスラエル人ほどよく知っている国民はない。ユダヤ人は長い間自分の国家を持たず、流浪の民の状態だった。そしてとうとう念願の国“イスラエル共和国”を作り上げる。しかしそれはパレスティナ人が住んでいる地域に、いわば強引に作り上げた国家のため、当然様々なひずみが生じていった。四次に渡る(見方によっては三次で終わっているという考え方もあるし、現在もなお継続中という見方もあるが)中東戦争がそのひずみから生まれたのだし、自分たちが国家を持つことで、パレスティナ難民という、新たに国家を失った民を作り出してもいた。しかし、そうまでしても、自分たちの作り上げた国に誇りを持ち、“国家”をホームと呼ぶ事を何よりも誇りにしている。それがユダヤ人というものだ。

 日本でも、この二つの言葉にどちらも“家”という言葉が入っているのはなかなか皮肉っぽい。

 この二つのhomeに必要なものは何だろうか?

 一つには、それは作り上げねばならないこと。そして作ってしまった以上は維持しなければならないこと。アヴナーはこの二つのhomeを天秤にかけねばならなかった。家族の維持を考えるのならば、国家とは離れなければならない。一方、国家の維持を図るならば、家族がバラバラになってしまう…

 日本人だったら多くの人間はこの問いに対して簡単に「家庭を取る」と言ってしまうだろう。しかしアヴナーは国家の方を取る。いや、彼にとっては国家を取らねばならないのだ。何故ならここで国家を取ることによって、実は彼の家はようやく成立するのだから。

 劇中、本人は一切登場してないのに、アヴナーの父のことが何度も話される。これはアヴナーにとってアキレスのかかとのようなもの。この父の存在はなかなかに曖昧。一方では国家の英雄という人もいれば、裏切り者と言う人もいる。彼が何をしたのかははっきり描かれてこそいないが、これは明らかに政府による脅迫であり、もしアヴナーがこの申し出を断るならば、父は裏切り者にされ、なおかつ自分自身も恥を受ける。それは過去、父と母が築いてきた家庭を壊すことになり、国家から今の家族も否定されることになってしまう。皮肉な話だが、アヴナーが政府の申し入れを受けたのは、“家庭”を作り上げるためだったのだ。おそらく“家庭”としてのhomeを守ることはユダヤ人的感覚からすれば当然のことだったのだろう。

 しかし国家としてのhomeを受け入れることによって、アヴナーは現実の妻と娘の家庭を危機に陥れてしまった。報復を続ければ続けるほど自分のみならず家庭をも危険に巻き込んでいく…国家としてのhomeと家庭としてのhomeのどちらをも守るために、アヴナーが取った方法は、国外脱出しかなかった。家庭を守るために家庭を捨て、国家を守った結果が国家を捨てる羽目に陥る…こうならざるを得なかった事が皮肉であり、彼の悲しみだった。

 そしてフランスにいるアヴナーの前に現れた“パパ”の“家庭”は、彼に一つの答えを与えてもくれている。国家と家庭を分けて考えることの出来ないアヴナーに対し、“パパ”は国家は国家、家庭は家庭と分けて考えるように。と彼に示唆している。それを理解しつつも、やはり同じ生き方しかできなかったアヴナー。彼の性格はひたすら一途であり、だからこそ何とも皮肉が過ぎる構成となってる。

 その辺を極めて皮肉に描きつつ、一級のエンターテインメントに仕上げたのは、さすがスピルバーグ!としか言いようのない見事な出来だった。アメリカで生まれつつ、ユダヤ人としてのアイデンティティを持つスピルバーグだからこそ、これを完全に理解し、これを皮肉に描くことが出来たのだろう。

 日本に住む私たちには知識としてそれが分かっていても、それを本当に自分のものとして受け取ることは出来ない。ただ、皮肉な哀しみのみが伝わってくる。

 細かいことだが、本作でもう一つ面白い所があった。

 イスラエルという国家はユダヤ人国家だが、中心となって国を作ってきたのはドイツ系ユダヤ人(金を出したのはアメリカ系ユダヤ人とも言われてる)。一方、パレスティナに残ってひたすら国が出来ることを待っていた、そして実際に中東戦争を戦い抜いたのはパレスティナ系ユダヤ人の方だった。そんな彼らは、同じ民族でありながらドイツ系ユダヤ人に対し含む所が大きいと聞いたことがある。アヴナーに対して「領収書を取れ」と厳命する役人の言葉は、それを裏付けてくれた。更に言うのなら、本作を作り上げたのはアメリカ系ユダヤ人。彼らはかなり正確な目で物事を見ているのではないだろうか?考えてみれば、一緒くたに「ユダヤ人」と言ってしまっても、世界中にユダヤ人がいて、それぞれの国で違ったアイデンティティを持っていることを改めて考えさせてくれた。

(評価:★5)

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