[コメント] かもめ食堂(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「いいわネェ、好きなことができて・・・」と、サチエの生き方を羨むマサコ(もたいまさこ)。「まぁ、やりたくないことはしないだけ、って感じですかね」と、それに応えるサチエ(小林聡美)。
話したくないだろうと思うことは、決して訊ねたりしない。そして、自分の抱えた過去や辛さを、むやみに口にしたりもしない。困っているからといって、安易に手を差し伸べたりはしない。けれど、自然な振る舞いがいつの間にか、相手の助け舟になっている。つまり、興味本位のお節介や干渉はしない、自らも愚痴ることなく、いつも自然体で周りとの関係を築くということ。
サチエ(小林聡美)は必要最小限に相手と係わり合い、必要最低限にしか頑張ったりしないのだ。なんと素敵な生き方なのだろう。そのスタンスは、すぐにミドリ(片桐はいり)やマサコに伝播し、全てのしがらみから解き放たれた夢のような場と関係が生まれる。分かってはいるが、決して叶うことのない理想的な人との係わり合い方。
矛盾を承知で言えば、これは生身の人と人の接点を通して描かれた、限りなくリアルなファンタジー映画なのだ。だから、登場する人々は目を見張る美女ではなく、どこにでもいるフツーの女たちでなければいけない。そして、舞台は日本から遠く離れた、異国の街の小さな食堂でなければならないのだ。
トゥオモ・ヴィルタネンのキャメラが素晴らしい。彼がとらえたフィンランドの街や自然のことではない。フレームに納まった人物たちの間に流れる空気感が素晴らしいのだ。下世話な関係に汚染されることなく、すがすがしく保たれた空気。登場人物たちの理想的な心の距離を、はっきりと感じ取れる透明感溢れる実に美しい映像だ。
荻上直子監督の前2作(『バーバー吉野』、『恋の五・七・五!』)には、どこか気負ったような下世話な感覚があった。特に「男」を描くときにそれが顕著に表れて、どうしても好きになれないでいた。本作では、まるで人が変わったかのように、そのイヤラシサさがなくなっている。「女」を中心に据えた映画だからだろうか。それとも、荻上監督の中で何かが吹っ切れたのだろうか。これで、また次回作を観る楽しみが出来た。
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