[コメント] ヨコハマメリー(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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不思議な映画だと思った。通常こういったドキュメンタリーは、市井の人々の言葉を通してメリーさんという人物に触れる形式で描かれるもんだ。だけど今作は何か違う気がする。どちらかと言うと、メリーさんについて語るという触媒を経ることで、語っている人々自身を描き出しているように思えるんだ。芸者、舞踏家、愚連隊、女優、SM作家、彼らがメリーさんとの邂逅を語ることによって浮き出されるのは、彼らが生きていたその時代とそこにいた彼ら自身の生活だ。一見普通の証言に思える美容院やクリーニング屋の人々の言葉にも、彼らの生き方や時代の変遷が込められている。周囲の声に流されてメリーさんを締め出してしまった美容院はそれでも店を閉めざるをえず、結果水商売へと鞍替えをする。しかしメリーさんに協力的であったクリーニング屋もまた、結局は同じように店を閉めてしまっている。一見ただの不景気な結果にしか見えないが、ここにもやはり人の生き方やモラル、商売、不条理がある。これって結構深いドラマだと思うんだな。
風俗ライターが口にする「オシパン」という言葉も強烈だ。聾唖の売春婦がいたことに驚いたのではなく、それが「オシパン」という言葉でカテゴライズされてしまうほど一般化していたということに驚くんだ。決して褒められた話ではないが、それこそがその時代だったんだろう。
そしてそんな中でも桁違いの生き様を見せつけるのが、シャンソン歌手・永登元次郎だ。男娼経験もあるゲイボーイでシャンソン歌手の元次郎さんは、猫と二人で暮らしながら末期癌と戦う。今ほど世間の理解がない時代をゲイとして生き続けて来たこの人が、小さいながら己の店を持ち、歌い、猫を愛で、カメラに向かってサラリと自らの癌を語るとき、そこには僕なんかの想像が遥かに及ばない“生”の迫力がある。己の生き方を変えずに生きてきたこの人の人生と、それが遠からず終わらんとしているという事実が、異常なまでの迫力を持って画面に横たわっている。この人が歌う「マイウェイ」、それがもし目の前で歌われていたら僕はきっと直視できないと思う。
実際映画のテーマ自体もかなり元次郎さん寄りにブレてしまっており、時としてメリーさんから完全に離れてしまっている瞬間すらある。でもだからこそ今作はメリーさんという人物を軸にした“街の物語”として完成し得ていると思うし、“養老院で暮らすメリーさん”という結末が“一つの時代の終焉”を表現できているのだろうと思う。メリーさんを含む濃密に過ぎる人々、その人たちの時代は過去になりつつあり、異形の時代は懐古の対象となるんだろう。孤高のメリーさんが養老院で暮らす日々、そこでご本人が周囲と調和しながら暮らせているとも思えないんだけれど、良くも悪くもそれが“今”なんだ。歌い終えた元次郎さんの隣で嬉しそうに微笑むメリーさんの顔が心に残る。お伽噺のような柔らかさと、息が詰まるような濃密さが同時に存在する物語。それも僕の感じた不思議さの一因なんだろう。
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