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[コメント] 戸田家の兄妹(1941/日)

女は三界に家なし。たぶん、四界にも五界にもないだろう・・・。本質的には男も一緒だがね。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 居場所のなくなったもの同士の行き着く先が「大陸」だというのは、とても象徴的な感じがする。何を象徴してるのかはよく分からないけど。

   ◇

 女の敵は女。嫌な言葉だが、ある程度は世の中の事を言い当てていて、長男の嫁・和子(三宅邦子)も、長女・千鶴(吉川満子)も、はたから見ればいずれ同じような境遇に追いやられるはずと思えるのだが、母(義母)の立場に立って物を考えるということを一切しない。代わりに、自分の意見を相手に押し付けること、あるいは相手の主張を抑え付けることに長けていて、その点では母(葛城文子)や三女・節子(高峰三枝子)と比べると、より現代的なキャラクターであると言える。もちろんこの二人は、現代から見ても嫌味な人間だが、同時に母や節子も愚図に見えるのだ。

 これに対し、男たちは何もしない。長男・進一郎(斎藤達雄)もこの件に関しては妻の言うがままのようだし、次女・綾子(坪内美子)の夫・雨宮(近衛敏明)に至っては、戸田家の分家の家長という地位を得ているはずなのに、基本的に我れ関知せずをよしとする人間である。千鶴の亭主がなぜ登場しないのかはよく分からなかったが、これは何か見落としているのかもしれない。

 ここへ、大陸へ渡っていた次男・昌二郎(佐分利信)が救世主として帰ってくる。父の一周忌へ例によって遅れて到着した彼は、母と妹・節子の境遇を見て取ると、なぜ父が死んで一年もしないのに母と妹が鵠沼の別宅へ住むようなことになってるんだ、仮に母がそう言い出したのだとしても、押しとどめて自家で引き受けるのが筋じゃないか、と家族一同を詰問するのである。確かにやりすぎで、生じかけていた亀裂をなかったものとして塗り込めるのならともかく、手を突っ込んでこじ開けるようなことをしてしまっては、元の鞘に納まるものが納まらなくなる。結果的に解決策も提示できていないので、昌二郎が繰り返す「これでうまくいく」の言葉は彼の思い込みに過ぎず、彼ら三人と、他の家族の間に生じた断絶は、決して元に戻らないんじゃないかという想いに捕らわれる。ただし映画としては、彼は正義の執行者、すなわちそれまで母と節子の惨めな境遇へ同情を寄せてきた観客にとっては、一定のカタルシスが得られることになる。最終的に彼ら三人は、昔から仕えてきた女中きよと四人で大陸へ渡ることを決める。

 ここで節子の取る行動が興味深い。彼女は、独身である兄の嫁さん候補として、自分の女学校以来の友人・時子(桑野通子)を紹介させてくれと切り出すのだ。昔のことゆえ断るなんてことができるはずもないから(違うのか?)兄・昌二郎は逃げ回るのだが、血の通った親子三人(+女中一人)で暮らすのならともかく、ここに嫁さんという外部の人間が入ったら、また同じ構造の繰り返しになるだけじゃないか! 気心の知れた友人だからと気安く考えているのかもしれないし、いずれ大陸で兄さんが結婚相手を探してくれると信頼しているのかもしれないけど、独身の兄・独身の妹・二人の母という最小ユニットで暮らした方が、母や節子のようなタイプの人たちにとっては、幸せなんじゃないかなあ、と思うんだけど!少なくとも当面は! どうしてお人好しの人ってのは、こうも自ら不幸の芽を招き寄せるような行動を取ってしまうのかと、興味深く見た。

 ラストで佐分利信が鵠沼の海岸をウロウロするのは、いろんな意味合いがあるのだろうけど、一つには物語を収束させないという効果を発揮している。つまり、これは現実に起きているお話なんだよと。小津だって結婚なんかしなかったんだから。

85/100(05/02/06見)

(評価:★4)

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