コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 晩春(1949/日)

麦秋』がダメでこれは大丈夫という珍しい人です。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







なんか違和感あった。あの一方通行な感じに違和感があった。そこで無理矢理自分を納得させるべく、それなりに解釈を作ってみた。

まず嫁に行かなければならないという、一つの大前提がある。嫁に行くか父と暮らすかどっちが幸せとかそういう問題じゃなく、嫁に行くとうい最終目的地へ向かって収束する話だと。そう考えてみる。

だから、紀子の気持ちが強いから嫁に行くのが必ずしも最善とは限らない、ではなく、紀子の気持ちが強いからより一層の努力をして嫁にやらなければならない、なのだ。より一層送り出すのがつらい、なのだ。だから嫁にやらなくてもいいという選択肢は始めから存在しないものとして考える。嫁に行くか行かないか、という選択を観客も考える必要はない。とにかく嫁に行くにあたって色々問題があるという事実だけ感じればよい。

紀子のあの執着心、あの迫力は、とにかく周吉のつらさ、そこから覗える優しさ、を演出する為のタメなのだと。嫁にやりたい親vs嫁に行きたくない娘、という対等な話ではない。純真で聞き分けのない子供を、とにかく正しい道へ導かなくてはならない、親としての苦悩がベース。

そう、あくまで親の方を基準にした話なんではないかと。子供の、娘の、女の気持ちは、それは登場ツールの一つに過ぎない。嫁に行った娘が幸せになるかならないか、それははっきりいって感知していない。そういうお話ではないだろうか。そこはやはり五十年前に男が作った映画、なのだから。

そんな感じでこう違和感みたいなのを消す努力をしてでも、これから何度も楽しみたい映画だったので、ちょっと頑張ってみた。最後に一言、杉村春子は凄い。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)づん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。