[コメント] 晩春(1949/日)
デジタル修復版にて再鑑賞。改めて、原節子のキャラクタリゼーションの異様さに瞠目する。小津はもはや原演じる紀子を、一貫した人格として描くことを放棄しているのではないか、という気さえしてくる。しかも極めて意図的に。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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この激しく情緒が上下する性格で、父親が後妻をもらうからといって、結婚を承諾することになる帰結の筋が通らない。唯一説明のつく理由としては、結局画面に登場しない見合い相手の佐竹のくうちゃんが、ゲイリー・クーパー似で気に入ったから(正確に言うと、ゲイリー・クーパー似の電気屋のお兄さんに似ているから)くらいしか挙げられない。もはやそんな辻褄など超越している。
いつも通り完璧に仕上げられた構図と編集に混じって、鉄道での移動やサイクリングなど、小津映画には珍しいアクティヴなシーンが挟まれる。杉村春子や三島雅夫が絡む軽妙な会話が可笑しくてたまらんし、月丘夢路のプログレッシヴな立ち居振る舞いも魅力的。印象と異なり、とてもダイナミックな映画なのだ。
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