[コメント] 東京物語(1953/日)
敗戦のリア王、未亡のコーディリア。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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改めて言うまでもないですが、この映画のプロットのどこが『リア王』かと言いますと、目をかけた自分の子供の一番目と二番目までが自分を厄介払いしようとするのに対し、三番目だけが本当に自分を想ってくれていたという、その一点です。
そして、『リア王』においては、リア王は、なかば暴君といった強い男の成れの果てでしたが、この映画の周吉は、敗戦の敗北感・挫折感・喪失感を経ながらなおも粛々と生きる静かな家長として、否、家長といっても名ばかりの田舎に置き去られた、やがては高度成長期から忘れ去られていくだけの形骸化した権威として登場します。
確かに、家長もかつてはこの国において絶対でした。
あるいは、リア王の末娘コーディリアが無論リア王の実子だったのに対し、この映画の紀子は、戦死した次男の嫁、義理の娘です。
ここが、なんとも物悲しいではありませんか。
ラスト、妻に先立たれ、孤独の終着駅にたどりついた周吉は、それでもなお唯一自分を想ってくれている紀子に、彼女を想うがゆえに、次男の亡骸から飛び立てと、そして、自分を捨てろと諭します――ここは、本当に涙を禁じえません。
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