[コメント] 早春(1956/日)
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抜群なのが岸惠子の造形。ショボくれた同僚たちのなか、彼女だけが全然別の論理で飛び回っている。後期小津の世界にあって異物性が際立っており(『東京暮色』の有馬稲子と双璧か。これも岸のはめ込みの役柄だった)、周囲の眼がうっすらと批判的なのがリアル。池辺良と握手だけして別れる放り出し方もリアルだ。池部の家を訪ねる処などスリリング、結局は淡島千景の婦徳に話は収まるのだが、収まりのない岸ばかりが逆に印象に残る。
サラリーマンの嘆きが重なるがこれらは主観的な愚痴の類に留まり、贅沢なものだという加東大介の揶揄に対抗できるものはない。満員電車がキツいと云われるが、そのキツさが映像で捉えられる訳でもない(市川崑らなら客車内の光景を逃さないだろう)。本作の映像は蓮實先生の著書で詳述されていたもので、電車を迎える群衆の目線とかラーメン屋の狭いカウンターとか川面を行くボート(このもの凄いスピード感)とか、すごいとは思うがそれらは「説話論的」に機能していない。転勤先の田舎から東京行の汽車を見送るラストショットを見ても、田舎者の私はその感慨を共有できないのである。
蒲田の住居は『お早う』の舞台にそっくりで、隣人の杉村春子と宮口精二がいい感じで脇にいる。「豆腐が散乱して」というギャグが面白い。この世界を敷衍したのが傑作『お早う』だろう。池部は小津にさんざ叱られたという逸話が残っているが、受け専芝居なのが名女優ふたりを際立たせたという意味では彼で良かったと思う。一方、名優ばかりの脇役(ひとり関西弁の田中春男がいい味)のなか、高橋貞二は弱すぎる。
鉄琴が多用される音楽の、劇的な展開を中和するような微妙な使い方が印象に残る。729号室に二度ドリーで廊下を寄って行くキャメラは何だったのだろう。
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