[コメント] M:i:III(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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IMFの組織が国家的な機関としてかなりふつうにその内部の様子を描かれているので驚いた。イーサンまで会議にでちゃっていて、思えばそれが最初の違和感だった。そしてバチカンミッションにおいては、上司のマスグレイブに続けざまに失敗をさせられないということなのか、「(作戦のことを)彼が知ると彼の責任になってしまう」という理由でイーサンが独断で遂行する。あれ?イーサンにそういう権限があるのだろうか?(PART2を見ていないのでその辺の事情がわからないのだが)彼のスタンスはベルリンミッションの時のように、当局から具体的な作戦行動の指示(潜入捜査員を救出せよ等)を受け、その任務を遂行するのみで、作戦の目的自体は知らされない立場にあると思っていたのだが。そもそも極秘任務を授ける側の上層部の人間に内緒で、任務を発令できるんじゃ上下関係がおかしい。自動的に消滅する道具でわざわざ指令を出している上司の立場などないではないか? どうでもよいことのように思えるかも知れないが実はここのところはこのシリーズの世界観にとって重要なところだと思う。
当局はMISSIONを一方的に通達し、作戦遂行上チームのメンバーにいかなる生命の危険が起こっても一切関知しないという高圧的な態度をとる。それを前提に戦うチームのメンバーの心の拠り所は、これが高額報酬とかが目的でないとするならば、当局に対する絶大な信頼と、任務を職業的に完遂させるプロ中のプロとしてのプライドということにしかないと思う。彼らは007のように女王陛下の英国と目的を共有できるような立場にない。彼らは意志決定者ではないのだから。作戦をリミット内に正確に行わなければならない(ボンドのように最終的に帳尻合わせればよいという真似ができない)という緊張感が生まれるのも、先の自壊メディアのようなガジェットが活きてくるのも、「当局の正体(意志)は不明」というのがミソなのではないだろうか? なのにバチカンミッションではその意志の役割を担ってしまう。
その結果ある意味当然なのだが「勝手なことをしたから」といって当局から攻撃されるはめになる。いかなる危険にも関知しないと宣言しているだけあって、チームのメンバーが死んでも構わないような容赦のない攻撃だ。ここが結果的には作品の中でも最も大掛かりなアクションシーンとなっていて、これを見ている間は確かに面白いのだが、そのあと当局の指示による攻撃という事情がわかってくると、作品一のアクションが「敵との戦いでない」というのがちょっと複雑な気持ちになってくる。それはともかくとして大事なのが、いいだしっぺのイーサンはともかくとして、チームの他のメンバーは、殺されそうになってどう思ったのだろう?というのがちっともわからないということだ。
更に、その後当局の内部に裏切り者がいるという疑いが起こった時、メンバーが驚きもしないのが、またよくわからない。まるでよくある出来事のように話しているが、そんなんで当局との間に信頼関係などを持ち得るのだろうか? かれらは平素何を思って命を賭けて戦っているのかわからなくなってくる。そしてその後、上海でイーサンから「自分を助けて欲しいから協力してくれ」という申し出にチームのメンバーが応ずることになるのだが、これは当局の内情がどうなっているかわからず、しかもそのことで自分たちが殺されそうになり組織から追われる立場となりゃ、ここはイーサンと心中するしか他に道はない。「むろんあんたについていくさ」というシュチュエーションになるのだが、これがなぜか盛り上がらない。それはチームのメンバーがイーサンを介してであっても、そもそも当局とどういう信頼関係にあり、それが内部の裏切り者の疑惑、そして始末されそうになるというプロセスを通じて、どういう思いで「当局の指示で」上海にやってきたか(かれらはおそらくマスグレイブからの指示で「イーサンに協力してやってくれ」と言われてやってきていると思われる)、そして、当局の指示ではなく、自らの判断において「イーサンという男を信じて今までやってきたから」という思いで彼の作戦にのる、というのでなくてはならない。「かれらの思い」の過程がきちんと描かれていなくては、あそこで盛り上がらないのだ。プロデューサートムは、イーサンの気持ちについては言及するものの、他のメンバーの気持ちに対してはまったくといって関心を示していないので、その描写がごっそり落ちているのである。
トムは、エモーションよりも無機質なゲーム感覚のスパイアクションが売りである当シリーズに、血の通ったドラマを持ち込みたいと考えているようだ。はっきりいって今回の一番の見所は、上海でのトムの激走だった。それはどんなCGよりも火器兵器を用いたアクションよりも光っていた。その点はトムの狙いが的中しているといえる。そして人間ドラマにシフトするために、当局の内情やらその中での人間ドラマを描くのもありだし、私生活を描くのもありだろう。しかし、そうだとしたら、もっと他の登場人物の心の動きにも気を配らなければならないし、組織の設定、その構造力学をきちんと詰め、それがゆえの人間の心理状態を把握した本にしなくてはドラマがウソっぽくなってしまうのだ。トムがそこに自覚的だったら、ミッションのゲーム的なアクションの面白さと、感情の昂ぶりをともなったアクションとを鮮やかに両立することができたように思う。
余談だが、TVのスパイ大作戦がほぼMISSIONの面白さを軸として成功していたのは、当局の正体を謎の組織として一切明かさなかったからだ。そしてそこから出される指令は、その真の目的は語られず、単にドラマを起動させるためのきっかけでしかなかった。すなわちそれこそがマクガフィンに他ならない。そこで重要なことはマクガフィンは、その正体が明らかにされないことで作品はリアリティを保ちうるということなのである。どんな奇抜な作戦が遂行されようが、観客は「なんでそんなことをしているの?」という惑いをおぼえなくて済む。「それをやれ」というMISSION・マクガフィンだからである。ラビッド・フットをマクガフィンぽく描いてはいるが、バイオハザードなマークがついている液体状のものであるわけだから、何となく細菌兵器かなと連想させてしまう。最後イーサンを組織に引き止める際にしか、その正体を謎にした理由も感じられなかったのだが。
くどくど書いたが、あきずに充分楽しめるアクション映画ではある。もしもう1点上乗せするとするならば、最後に見せ場を「もう1回」だったかなあ。
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