[コメント] Death Note デスノート 前編(2006/日)
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金子修介は、美少女と美少年を成功の道具としてきた映画作家である。
『ガメラ』シリーズしかり、『1999年の夏休み』しかり。なかには『学校の怪談3』のように不発に終わるものもあるが、概してその作品は美しい少年少女によって紡がれ、名作となった。『ガメラ』の戦闘描写から彼を怪獣映画屋として仕事を発注する者も多いが、あれは他のスタッフに依るところも大きいことを忘れると、近年の円谷プロのように怪獣シリーズで凡作を連発される破目になる。
その彼がなんとも2部に分けて、必ずや成功させてみせると意気込んだに違いない作品なのだから、美童が入り乱れる画面は想像に難くなかった。藤原竜也、松山ケンイチ、香椎由宇という布陣であるのはご覧になった通りだ。
ところで話は変わるが、あなたは「デス・ノート」を夢に見なかったろうか?俺は見た。それどころか、人名を書くとその通りになるノートということで、豚そっくりの顔になる、富士の樹海やアマゾンの奥地にテレポートさせられる、色情狂になって人目をはばからずセックスしまくるといった罰を、自分を攻撃した相手に当てはめて空想していたのだから随分陰険かつ弱虫な男である。
そうなのだ。これは普段コンプレックスの塊になっている少年が見る夢なのだ。藤原のような自信たっぷりの美少年の空想ではない。それでは何故このキャストなのだろう? 自分の思うには、金子は現代がナルシシズムの時代であることを見透かしているのだろう。自分は美しいと皆が思っているから、コンプレックスとは別次元でこの空想は誕生する。ナルシシストは残酷さを恥じることはないから、正義でやってきた殺人のはずがガールフレンドを犠牲者として巻き込んでも、人前では泣いても平気なものである。要は自分だけがカワイイのだ。
こういう現代の少年の物語も面白いけれども、感情移入はできない。だから後編をもし観るとしたら、たぶん囲碁、将棋の名人戦を観るつもりで観ることになるだろう。これは俺の世代の物語ではない。1999年の夏休みを、子供として経験してきた少年少女たちのための物語なのだ。
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