[コメント] 秋刀魚の味(1962/日)
私たちは本当にこれを「映画」と呼ぶことができるのだろうか。小津の最前衛映画。映画的瞬間に埋め尽された映画が「映画」を超えてしまうという逆説。
「映画的」なる語は便利だがいいかげんな語でもあって、なるべく他の語を以って語る努力をしなければならないと自戒しているのだが、「映画的」としか云いようがない事態が存在することもまた事実だ。
映画的瞬間――それは映画を映画たらしめているものであり、私たち人間の理解をはるかに超えたものである。そして一握りの天才か、才能豊かな監督による非常な努力か、あるいはまったくの偶然によってしか手にすることができないものだ。
そのような映画的瞬間を自由に現出させることができた天才がホークスやヒッチコックだとするならば、小津は全カットどころか全コマを映画的瞬間だけで埋め尽すという野蛮な試みに挑み続けた作家だと云えるだろう。 そしてその試みに最も成功したのがこの『秋刀魚の味』だ。
本当にこれは「映画」なのだろうか。少なくとも私たちが知っている「映画」などでは断じてない。『秋刀魚の味』とは一体何なのだろうか?
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