[コメント] 雨月物語(1953/日)
「怪談」が古来「戒談」であったことを踏まえれば「源十郎と若狭のパート」はその正統かつ完璧な映像化と認めることが出来、古臭い訓戒を聞き流すことなど容易だ。
しかし「藤兵衛と阿浜(小沢栄太郎と水戸光子)のパート」はそういうわけにはいかない。「怪談」でも「故事」でもない凡庸な作り話が手堅い演出で語られるのみで説教臭さばかり前に出てしまったからだ。(だからといって減点はしないが)
「源十郎と若狭のパート」は、宮川一夫の神業的な映像技術と、京マチ子の起伏に富んだ怪演を得て国宝級の仕上がりを見せるが、これも勿論、あの前半延々と続く、閑散にして幽玄、湿潤にして枯渇した雰囲気があったればこそである。
死霊となった宮木=田中絹代の再登場シーンもトリッキーな長廻しによってショック効果が倍増されているから「絹代が一番怖い」という意見が聞かれるのも納得である。ギリシア神話のエコーの如く声だけになった宮木の忠告を受けながら源十郎が轆轤を廻すシーンは独創的で、これをパクった某ハリウッド恋愛大作を訴えてやりたいほどだ。
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