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[コメント] 上海の伯爵夫人(2005/英=米=独=中国)

「君にはこの美が見えていない!」というその「美」が、観客の目にさえも見えないのだ。バーにも、「伯爵夫人」のソフィア(ナターシャ・リチャードソン)にも。脚本には潜在力がありそうだが、映像がそれを殺してしまった。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジャクソン(レイフ・ファインズ)が強調する「美しさ」が観客の眼前にまるで存在しない時点で失敗作。ナターシャ・リチャードソンに全く美と呼べるものが無いとは言わないが、誰もがそこに確かな美を認めるといった容貌ではない。また、バーのシーンでは、店としての魅力がまるで感じられず、カメラも登場人物同士の会話する姿を捉えることにしか関心が無さそうであり、つまり全てが台詞に寄りかかりすぎで説明的。

カズオ・イシグロジェームズ・アイヴォリーのコンビでは、『日の名残り』は個人的にも大好きな作品なのだが、その時には美点となった地味な画面作りが、今回は殆ど欠陥にしかなっていない。ソフィアの貧乏暮らしの場面などはともかく、それとの対比としてのバーの美しさが欠けているのは致命的だ。勿論、その美を創造したジャクソンは盲目なのだが、彼が盲目であるせいで、その脳裏に思い描く美が実際には存在していない悲壮感を描いた作品として演出されているわけでもない。

元は国際政治の場で活躍していたジャクソンが、自身の活動も虚しく、テロで娘を失った結果、「政治的緊張」さえも、自身の脳裏に描く「美」の為の装飾としか見做さなくなる辺りに、ドラマとしての奥深さが感じられるのだが、それが充分に活かされてはいない。盲目のジャクソンがいかにして自らの信じる美を構築していったのか、その過程はまるで描かれず、マツダ(真田広之)と約束した「一年後の再会」は、ジャクソンによるソフィアへのスカウトのシーンの後にすぐ訪れる。また、肝心の「政治的緊張」も、それを店に持ち込む為の計画をマツダが話す声と同時に、説明的なシーンが映し出されるだけ。

脚本はとても魅力的なのに、監督が全くそれを活かしていない。クリストファー・ドイルの撮影もどうということはないし、カズオ・イシグロは悲惨である。

(評価:★2)

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