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[コメント] トゥモロー・ワールド(2006/米)

「神罰」で片付けられないリアリティ。絶望することが得意になった私たちは、この映画に撃たれなければならない。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最近私は父になった。しかし父になる前に、私はよく、この世界に「持続」する価値があるのかということを思った。椎名林檎が「9.11」の当時に出産したばかりで、その惨状を目の当たりにして我が身と我が子と社会の関係性を深刻に考えた末にすさまじい鬱状態に陥ったという話を知って他人事でなく胸が痛んだことも伏線としてあるのだが、とにかく私は怖ろしくて、一向に賢くなろうとしない世界に新しい命を育むというのはとてつもない蛮行というか半ば罪を負うことにもなりかねない、とか今思えば要らぬことばかり考えていた。

それ自体が言葉遊びに過ぎないことも頭の片隅で分かってもいたが、それが事実であることを否定できる確たる根拠もなかった。甚だ懐疑的であった。少子化という社会現象も、単純に経済がどうとか、そういった単純な問題を超えたところで起こっているんじゃないか、と思っていた。この時点で私は精神的に父性を喪失していた。それは、新しい命と社会に期待しない、という虚無である。

この映画で展開されるためらいのない殺戮と排除は、持続性を期待できない社会において自暴自棄的になされるものだ。社会自体が、知識的・精神的側面においても完全に父性と母性を喪失しており、守る対象を失っているため、破壊が自明のものになっている。体制側も、反体制側も、大義を喪失しているか、捏造しており、組織の実体・暴力の根拠は曖昧で(体制・反体制とも何を目的にしているのかほとんど明かされない)、苛立ちと憎悪のスパイラルにより全く歯止めが利かない。自殺が推奨される。これは資源の枯渇や環境破壊、絶え間ない紛争、堕落(これらの言葉は全く軽すぎる)への絶望感・虚無感に沈む、私たちが今ここにこうして生きる現代とさほど変わらない。

そして、「持続の喪失」という生理現象は、絶望に取り巻かれて社会がやせ細り、老い、未来を信頼することを忘れたとき、つまりはかつての私のような人間がこの地に溢れた時に、本当に訪れるもののような気がした。この異変があったから世界が荒廃したのではないだろう。この異変はおそらく世界の荒廃の果てにもたらされるものなのだ。ここには「神罰」という絵空事的な言葉で括ることのできないリアリティがある。「リアリティ」とはドキュメンタルな技法のことを指しているのではない。滅亡を自明とした虚無的社会で、父性と母性は失われ、死は軽くなり、争いは加速し、その分滅亡も早く進むだろう。私は同時代的感覚により、このディストピアを全く他人事としてとらえることが出来ない。

そしてそんな私だからこそ、僅かに残された父性と母性で未来をつなぐセオとキーの姿、そしてエンドクレジットの背景に聞こえる子ども達の声に涙せずにいられない。確信に満ちた希望。混沌の中で産声を上げるたった一つの新しい命が、全ての虚無を打ち砕く。

私が虚無をどうやって脱したか。まさにこの心情に基づいていた。簡単なことなのだ。私の心情をこの映画はまっすぐに代弁してくれる。

今改めて思うことは「虚無」は手強く、じわじわと人と社会を蝕む。だが、新しい命により「否定」されることも出来るものであり、まさに新しい命とは「可能性」そのものであるということ。一向に賢くなろうとしない世界に絶望しても、「可能性」の灯火(ラストショットの明滅するブイが素晴らしい)だけは、最後まで絶やしてはならない。そして、その「可能性」がねじ曲がることのないように育む責任。それこそは「信念」。

最も醜く凄惨な、未来を否定する戦場という空間で生まれ、「怒りの泣き声」をあげる赤ん坊の「啓示(虚無の否定)」。

ジャスパーマイケル・ケインが語るように、「運命」に敗れることもある。しかし、それも「可能性」に過ぎない。虚無を否定するために、苦しくても未来を信じる。絶望することが得意になった私たちは、この映画に本気で撃たれなければならない。

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※ 手塚治虫的「罪と罰の神話系」SFを、現実と地続きなストイック演出で見せる。その技法が、事実的であるよりも訴求力を獲得し、またフィクションでありながら「他人事」として観るものを排除しない。つまり、こういったシリアス系の「物語」として圧倒的に正しい。

※ 個人的なお話で恐縮だが、椎名林檎がその後立ち直り、(離婚はしたが)良き母親になったらしいということが私の中で一つの救いになっている。あの人、デリケート丸出しですから、とても心配でした。

※ 「持続性」を失っているのは人間だけである。頻繁に挿入される動物たちの群れ。

※ ジュリアン・ムーアが言及する「ピー」という音。戦場シーンで被さるこの音は、「音」でなくして、おそらくペンデレツキの「ヒロシマ」である。

※ 邦題について、はっきり申し上げて許さん。シネスケがなければ観なかった類いの邦題。

(評価:★5)

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