[コメント] ゾディアック(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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1950年代のアメリカは、生まれた子供を大切に育てようという運動があって、その世代に育った子供たちがヒッピーなどのフラワームーブメントへとつながってゆくことはあまり知られていない。フラワームーブメントで異彩を放った世代はその後ドラッグに侵され、自ら命を絶つなど、その貴重な才能を若くして失ってゆくわけだが、例えばジム・モリソンやジミ・ヘンドリックスがそうだろう。
『ウッドストック』など、当代の一大イベントは確かに世界への衝撃が強かった。
この『ゾディアック』の内実については、映画の中でほとんど明らかにされていないが、ちょうどこのフラワームーブメントの世代がこの猟奇殺人の時期と重なる。容疑者とおぼしき人物が登場するが、彼がトレーラー生活をしているあたりが象徴的だ。
だが、この映画で貴重なことは、時のフラワームーブメントに侵された若者とは別に、この猟奇殺人をとことん追い求める若き刑事の苦悩と挫折が描かれていて、その対比については大変好感が持てる。
フラワームーブメント世代をほのめかすことがこの映画にいくつかあって、そのひとつが、この映画の主人公である新聞マンガ家がそれだ。彼は明らかに放浪者である。しかし自ら仕事を求め好きなマンガで身を立てようと新聞社に入社する。
そしていつの間にか『ゾディアック』事件に吸い込まれ、家族を置き去りにしてこの事件を追求する。この原作者である。
彼が新聞社に入って最初に話しかけるのが、酔っ払いの新聞記者だ。ここにもフラワームーブメントのなごりを感じる。
この世代は、当時の学生運動、遠因として朝鮮戦争からベトナム戦争に至るまでの社会政治が見受けられるが、そうした状況の中でなんとなくムーブメントに乗って反戦運動を行ったり、放浪者となってさまよったりする姿は、当時の状況をかすかに表現しているのだと思う。
この映画は何かを訴えようとして作られた映画ではないだろう。
むしろこの事件に関わった多くの勇気ある誠実な者たちの姿を映すことで、悪=猟奇殺人に対する憎しみと、それを解決できなかった屈辱を描いているとみるべきだ。
だが、この長時間にわたる映画の向こう側に、当時の世相をが見え隠れするところに、テイストを感じる。
デビッド・フィンチャーはこの作品でかなりこれまでの作品と異なる試みをしている。もともとペインティング経験おある作家なので、映像の全体が統一され、見事に映画としての美しさを描写している。ドキュメンタリーとしての真実性と、映画としての構成を巧妙に組み合わせて、長い映画を飽きさせずに作った。
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