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[コメント] SF ボディ・スナッチャー(1978/米)

視聴覚的な、肌を這うような不気味さの演出にはこだわりが感じられる。隣人が、或る日別人に見えてしまう、という精神病理学的な不安には、あまり興味が無さそうだ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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時計の針の音や、給水機の水がゴポゴポいう音、衛生局の検査機器の作動音、等々の、観客の鼓膜に気味の悪い感触を残す音の使い方に感心させられる。事が起こる前から、音だけは密かに不穏で侵略的なのだ。視覚的にも、冒頭から凝っているのが嬉しい所。侵略者が伸ばす、植物の根のように細い触手がソロソロと這う様子。水死体のようなドロドロとした人体が、自分や隣人の分身と化していく過程。制作者側は、こうした皮膚感覚に訴える、ねちっこい表現がしたかったのだろう。このSF的状況を用いて人の心理に迫る、といった意識は感じられない。

主人公のマシュー(ドナルド・サザーランド)が、衛生局員という、生理的、物理的な侵入物を取り除く専門家であるのに対し、その友人であるデイビッド(レナード・ニモイ)は精神科医という、心理的な不安要素を取り除く職業。「夫が別人なんです」と訴える女性に対してデイビッドが、それは貴女の内側の不安の投映なんですよ、と不安を取り除こうとする行為が、実は人体への侵入を完遂させる為の戦略なのだという辺りに、アイロニーがある。ナンシー(ベロニカ・カートライト)が「この公害だらけの世界で、何かが侵入しても気づかないわ」と神経過敏な様子で訴えるような、現実の人々に潜む不安に、宇宙からの侵略者という極端な実体を与えてみたという訳だ。

劇中での“アメイジング・グレイス”の使い方は皮肉が利いている。この曲は、一度目は、マシューとエリザベス(ブルック・アダムス)が船で脱出できそうだという場面で聞こえ、次には、すっかり侵略者に乗っ取られた街の場面で流れる。しかも後者は、ややノイズがかった音色にされている。この曲には、「かつて私は失われ、今また見出された。かつて私は盲目だったが、今は見える」、「私に畏れを教えたのは恩寵、私を畏れから解放したのも恩寵」という歌詞が含まれている。つまり一度目では、通常の意味での救済を示す曲であり、二度目の方では、エリザベスに続いて遂にマシューも分身と入れ替えられた状況を、新しい自分の目覚め、という、侵略者から見た進化として描いている訳だ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)MSRkb ダリア[*]

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