[コメント] キサラギ(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
密室で5人の男たちが話している内に、それぞれの秘密が明らかになり、 ときに疑い、ときに罵り、ときに殴り合う。 とてもスリリングだ。そして笑える。
この「秘密」が明らかになるタイミングが何とも絶妙なのだ。例えば、話の途中、登場人物の一人が如月ミキの彼氏であったことが判明する。しかし彼が、「僕が彼氏です。」と言ったときには、すでに観客はそのことを察している。私は如月ミキが彼氏のことを「やっくん」と呼んでいたと説明された時点で予想できた。自慢するつもりはない。いや、自慢になどならないだろう。おそらく、この時点ですでに予想できたというのは、監督の計算の内だろう。観客は、登場人物より一歩先に、彼氏の正体に気付くから笑えるのだ。もし観客と登場人物が一体になっていたら、観客は登場人物と一緒に”驚く”ことになる。観客と登場人物の心の動きがずれているから、「そ、そんな。」「ま、まさか。」と驚く登場人物たちを一歩退いたところから見て笑うのである。
映画館ではあちこちからヒソヒソ話が聞こえてきた。はっきり聞こえたわけではないが、そのうちのいくつかは、「この人がマネージャーなんだ。」「この人が彼氏なんだ。」と先の展開を(正確に言うなら直後の展開を)予想する会話だったようだ。
見ず知らずの観客と話したわけでもないのに、みんなと一緒に笑い、みんなと一緒に突っ込みを入れ、みんなで楽しんだという妙な一体感があった。
そしてちょっと感動した。何かほろりとさせるものがあった。それはファンである(あるいは実は身内であった)男たちの苦悩がしっかりと描かれているからであるが、それ以上に如月ミキの苦悩が伝わってきたからだ。
辛い思いをしながらも、毎日彼氏に電話し、ファンレターに励まされながら、仕事を続けた如月ミキ。僕の仕事はもちろんアイドルではないが、やっぱり仕事は何だって辛いよ。休日には思い切り気分転換をするし、ときには愚痴を吐くという醜態もさらしてしまう。
如月ミキがヘアヌード写真集に積極的だったことが明らかになったときの、あの表紙の輝き。あれは最初から積極的だったわけではない。彼氏に電話で泣いたのは、嘘泣きではなかった。やはり彼女は躊躇していたのだ。アイドルとしてジャンプに踏み切る勇気もない。父親にそんな姿をさらしたくもない。かといってマネージャーを蹴倒す勇気もないし、アイドルを辞めて実家に帰る決心もつかなかった。どれを選択すればよいのかわからなかった。追いつめられていた。そういう心境を”悩む”と言う。それが周囲に支えられ、決心がついた。ヘアヌード写真集を出すことを選択した。父親にも、堂々とこの姿を見せよう。悩みを自分の中で消化し、乗り越えたのだ。
不思議な話である。如月ミキはエンドクレジットまで顔をはっきり見せないのに、彼女に一番感情移入している。(正直、このエンドクレジットはいらなかったんじゃないかとまで思う。宍戸錠は完全に蛇足だったと思っている)
それを考えると、アイドルなんてものは幻影で、楽屋では別の顔を持っているのだ、ということを実によく表した映画だなあ、とも思う。
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