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[コメント] ミラクル・カンフー 阿修羅(1980/香港)

見世物が見世物を超える必然
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







英語タイトル「THE CRIPPLED HEAVEN」とは日本語に訳せば「片輪天国」だろうか。とにかく伝説的なトンデモ映画だという噂で、はっきり言えば興味本位で観たかった映画だった。腕なし男と足萎え男が、ヨガじじいの特訓を受けて合体し、セムシ男に復讐するという物語。

映画はいきなりの腕チョンパで幕を開ける。腕なしは世間の冷たい差別に直面し、ブタのエサを漁るほどに落ちぶれる。通りかかった親切な農夫との会話が凄まじい。

「何をしている?」

「ブタのエサを食わせてくれ」

「いったいその腕はどうした!」

「一言では言えんが、生きていれば見返してやる!」

「両腕なしでどうやって生きていく?」

「腕がなくても生きていける!」

「その意気だ! だが勇気がいるぞ」

このやりとりの熱気には驚嘆した。圧倒された。本当に両腕がない人間にしか、この熱気は生みだせない。そういう意味では、この映画は名匠ウィリアム・ワイラーの『我等の生涯の最良の年』となんら変わるところがない。アカデミー賞をとっても全然おかしくない。

確かに、これは見世物映画かもしれない。しかし見世物は本物と思われるものを見せるから見世物なのであり、本物が演じることによって映画は否応なしに単なる見世物を超え、計り知れぬ大きな力を持つことになる。見世物小屋に入るときは軽い野次馬気分でも、出てくるときは必ずイヤな気分が後々までつきまとうものだ。最初からフィクションであることが判っているお化け屋敷では、こんな現象は起こらない。なぜなら見世物は、もうちょっとシリアスな代物だからだ。

腕なしと足萎えがヨガじじいの厳しい特訓を受けるシーンは、絶対にテレビでは放送できないだろう。ヨガじじいは容赦なく2人をシバキ倒すのだから。しかし、彼らを一番愛しているのがヨガじじいであることも、また明白なのだ。冷たい世間は、片輪だからと彼らを差別し虐げる。心ある人々は、例えば棺桶屋のオヤジや前述の農夫なんかがそうだが、手助けをしようととする。だがヨガじじいはさらに踏み込んで、彼らを弟子にして容赦なくシバキあげる。最大の目的であるセムシ男への復讐に向け、共に努力し、共に苦しみ、共に生きようとするのである。

ヨガじじいがヒモつきのボールをあっちこっちに転がして、腕なしと足萎えがボールを捕まえようと右往左往するという、ちょっとお前いくらなんでもこの特訓はひどすぎるだろ、というシーンがある。しかし、ついに腕なしと足萎えの2人が協力し、師匠であるヨガじじいを逆にそのヒモで縛りあげてみせると、ヨガじじいと2人の弟子は高らかに笑うのだ。互いにヒモで結ばれ、高らかに笑う3人の姿は、文句なしに感動的だった。涙が出そうになった。あのヒモはそのまんま、彼らの絆そのものなんだ。それはまぎれもなく「THE CRIPPLED HEAVEN」だった。

この映画は、決して出来のいい映画ではない。ずいぶん無造作に作られた映画だとも思う。ツッコミどころなんか無限にある。しかしたとえ出来が悪かろうが、身体障害者の努力とその成就をクソマジメに描いたこの映画が「トンデモ映画」として一笑に付されている現状は、嘆かわしいと言わざるをえない。この映画がより多くの人の目に触れることを、切に願う。NHKで大晦日に放送しろ!

(評価:★5)

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