[コメント] ボルベール 帰郷(2006/スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
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これは難しい映画だ。僕にはこの映画が、“女性の強さを描いた、赦しあう親子の愛の物語”だと素直には思えないから。(ただ単に内容を読み違えているだけかもしれないが…)
もちろん、女性の強さを感じる映画であることは間違いない。全編通して赤の色彩が際立つアルモドバル作品らしい映像の中、ペネロペ・クルスが表現したライムンダの力強さ。過去の確執も、現在の孤独も、未来の不安も、すべて乗り越えていけそうなパワフルさがある。それを、“赤”が際立たせてくれるのだ。愛の“赤”が強烈である。
だが、同時に憎しみの“赤”も強烈だから、素直に愛の物語として受け止めることができないのだ。夫の死体から流れる血が染み込んでいくナプキン…。あの不吉さがどこかに棘のように残り続ける。女の強さ、これは恐さでもあるように感じる。
そして、さらに映画を不気味に感じさせたのがカルメン・マウラ演じた母・イレネの存在。ライムンダが歌う「ボルベール」を聴いて車の中で涙するイレネの姿は実に感動的だ、とは感じた。だが、ライムンダとふたりで秘密を語り合いながらベンチで抱き合う場面は、感動的でもあるが、末恐ろしさも同時に感じてしまった。
娘を守るために、夫を殺したイレネ。その強さが、やはり恐ろしい。同じく、父親に身ごもらされた子供を育て続けているライムンダ。その強さも、やはり恐ろしい。似たような境遇を繰り返している、この家族。それも、恐ろしい。赦し合いの場面なのに、あまりに異質に思えた。
赤い服を着たライムンダと、青い服を着たイレネ。赤が主体の映像の中で、青が登場してくると、異質さを感じるのだ。それは、青い光を放つ暗がりの中、後姿のイレネが歩いているラストシーンにも言える。外の強風も重なり、異様に不気味な終わり方をしたように感じた。
円熟味が増したアルモドバルくらいの巨匠になると、もはや一筋縄な作品は作らないことは承知だ。簡単に語れてしまうような愛を、もはや彼が描くとは思えない。この映画も愛の物語ではあろうが、単に愛の物語ではない。それを、理解不能と思うか、深いと思うか、それは観客に委ねられている。
しかし、僕が感じた違和感。おそらく、前々作『トーク・トゥ・ハー』を観た際にも感じた人はいるように思う。完全なる女性映画である『ボルベール』は、僕が男性であるから違和感を感じたとも考えられる。対して、『トーク・トゥ・ハー』は完全なる男性映画であり、逆に女性の方が違和感を感じる可能性が高いように思う。
アルモドバルは、極限を描いている…。
とは言っても、初期の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』や『アタメ』のように、美しくもある変態趣味を軽いノリで捉えるコメディとして、笑い飛ばすことだってできたはずだ。そちらの見方をすれば良かったか…。
結局、僕にとって、アルモドバルを観る上で、『トーク・トゥ・ハー』の影響があまりに大きすぎた。
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