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[コメント] アヒルと鴨のコインロッカー(2006/日)

ポップでちょいシュールなテイストながら、意外にテーマは深い。ドストエフスキーのように深い、と敢えて言おう。だがショットのつなぎ方はあまりに愚直で、脚本がトリッキーなのに冗長に思えるのが惜しい。この空気感は好きだ。きっと原作が良いんだな。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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唯一にしてかなり痛い欠点は、後半の回想シーンが長いこと。この中で、前半に提示されていた情報の真相が明らかにされるのだが、まるで間違い探しの答え合わせでもしているかのような淡々としたテンポが冗長に感じられる。虚実や時間軸を錯綜させたトリッキーな脚本の割には、編集にリズム感が欠けているせいで、一転してシリアスな様相を見せ始めて以降も、終始のっぺりした印象を受ける。

原作が良く書けてあるんだろうな、と思った。飄々としたポップなスタイルに見えて実は、これは「罪と罰」や「神の不在」について問う物語ではないか、と。タイトルを『復讐するは我にあり』にしても良さそうなくらいだ。つまり、神はペット虐待犯たちを罰するか、という問いと、彼らを罰したドルジを罰するか、という問い。

ドルジ(瑛太)と琴美が出会ったきっかけは、道路にとり残された犬をドルジが身の危険も顧みずに助けた出来事。琴美はその勇気を讃えつつも、あなたが死んでしまう、と注意する。それに応えたドルジは、犬を助けようとした自分が死ぬわけがない、死ぬとしたら前世の報いだ、と。やがて二人がペット虐待犯たちをゲームセンターで見つけて警察に逮捕させようとしたとき、琴美は逃げようとした彼らの車の前に立ちふさがって轢かれ、車はトラックに衝突される。トラック衝突、という形で神は虐待犯らを罰した(来世で、ではないが)という見方もできるが、ドルジは更なる復讐を決意し、実行する。

最初にドルジが琴美と共に虐待犯たちに遭遇した際、襲い来る彼らに石投げで応戦したドルジは、そのとき彼らに謝ったことについて琴美から訊ねられると、暴力はいけない、悪いことをすれば来世で報いがある、と答える。だがその非暴力主義も、琴美の死という取り返しのつかない出来事によって崩壊したと言える。それは、生まれ変わりを信じているブータン人は死ぬのを恐れない、というドルジの言葉は、飽く迄も‘自分の’死に関しての話であり、琴美や河崎の死までも平然と受けとめることは、彼には出来なかったわけだ。

そんなドルジは、最後にまた犬を助けようと道路に飛び出す。その結末は観客には示されないが、これはまた、観客や「神様」に対する問いかけでもあったのだろう。神は復讐者ドルジを罰するべきか?と。

ブータン人と日本人は見た目には容易に識別できる違いが無い、ということを利用したドラマ作りは、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』を彷彿とさせるものもある。つまり、眼前の見慣れた光景が、そのまま異国となり、自分は異邦人のような寄る辺なさに包まれる、という感覚。更にはブータン人の、全ての生き物は生まれ変わる、という日本人にも馴染みある思想が、人間と動物の平等性という視点から、動物虐待をする者は生きながらにして鳥葬にされるに値するか?という問いを投げかける。

犬を助けに再び身を投げ出したドルジと、新幹線で牛タン(=動物)を食する椎名。そして「神様」は、日本人でもブータン人でもないボブ・ディランで、コインロッカーという、見慣れた光景の中の暗がりで、椎名とドルジの、訪れるかどうか分からない再会の時まで歌い続けるのだ。この人、物、場所の配分の仕方が絶妙。

(評価:★3)

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