[コメント] スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ(2007/日)
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つまるところ西部劇(あるいはマカロニ・ウェスタン)とは何なのか? ここではとりあえず、それは「風景」と「顔面」の映画である、などときわめていいかげんな思いつきを云ってみることにする。この放言にいかほどの正当性があるかはさておき、スキヤキであれ何であれ「ウエスタン」を名乗っていることに違いはない本作には、しかし「風景」も「顔面」も欠けている。とは云い条、それは企画・配役の段階で既に明らかだったはずのことで、あらかじめ「負け戦」と分かっている勝負を手持ちの戦力でここまで戦ってみせた奮闘ぶりは認められてもよいだろう。
まず「風景」について云うと、アメリカ的もしくはイタリア的風景の西部劇を日本でできないことは自明であり、ここでアメリカ的/イタリア的をメキシコ的ないしスペイン的という語と置き換えても事態に変化はないのだが、それならばいっそのこと日本的風景、たとえば「山」の西部劇を志向するというのも一策だったとは思うが、本作はそのようなことはまったく目指さず、とにかく日本的かつ無国籍風味の家並みで西部劇をやるということに固執しているようだ(塩見三省のシーンは確かに日本的な「山」だが、そこに活劇が生まれる気配はない)。それはそれで悪くはないし、強いて云えばこれは「泥」の西部劇だと云えなくもない。ラストにおいて雪を降らせてみるなど頑張った形跡も見られる。だが、「泥」にしても「雪」にしても風景としての弱さにはいかんともしがたいものがあるように私は思う。うがった見方をすれば、やけに長いフラッシュバックにおける画面の色調やオープニングにおける(良く云えば鈴木清順的な)背景美術も、風景の弱さを補うための方策だったのかもしれない。
次に「顔面」の問題だが、これは決定的にまずい。伊藤英明の立ち姿はなかなかサマになっているし、桃井かおりや伊勢谷友介の身ごなしもよい。しかしメインキャストが伊藤・伊勢谷・佐藤浩市では「顔面」の映画の成立するわけがない。たとえば『続 夕陽のガンマン 地獄の決斗』の終盤の「三すくみ」などというものが映画的に許され、しかも面白いのは、それがクリント・イーストウッド、イーライ・ウォラック、リー・ヴァン・クリーフという凄まじい顔面力の持ち主たちによるものだからではなかったか。この映画においてもひとりくらい「そこにいるだけで面白い顔面」の持ち主がいてもよかったはずだ(三池崇史はその役をクエンティン・タランティーノと塩見に託したのかもしれないが)。
終盤の敵味方入り乱れての銃撃戦については、やはりカットを割りすぎているような気がする。それが現代アクション映画の要請だということくらいはもちろん私も知っているし、実際のところそれなりの迫力もあった。だが、ほとんど興奮は感じなかった。それはカット割りの問題とも関連するが、銃撃空間の演出が不十分であったことによると思われる。
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