[コメント] ミリキタニの猫(2006/米)
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三つのことを考えた。
三力谷老人と、『ゆきゆきて、神軍』(87)の奥崎謙三、『ヨコハマメリー』(02)のメリーさん、『蟻の兵隊』(05)の奥村和一氏はおそらく1920年ごろに生まれた同世代である。私の父もまた20年生まれである。父のことに細々と触れる余裕はないが、みな戦前の軍国主義時代に思春期を過ごし20代の前半に敗戦を迎えた世代だ。彼らほど青春期とその後の体験と境遇によって価値観に差が生まれた世代はないのではないかと思う。それ以降に育った私をも含めた世代は、ある種の価値を共有することで日々平穏に暮らしている。同じベクトルを持ち、平にならされ均一化されただだの群れだともいえる。複雑な構造を持たないということは、いざ、というときに脆さを露呈するような気がしてならない。
アメリカには戸籍制度がなく、人の過去を追うのは至難のことだと聞いていた。しかし本作で、アメリカという国の情報開示制度の充実度を目の当たりにして驚いた。80歳を超えた、しかも複雑な過去を持つミリキタニの資料が、わずか1年半あまりの間に次々と出てくるのだ。さらに、一旦、市民権が回復された後の厚遇にも驚かされる。このオープンさと市民に対する懐の深さこそが、多民族国家アメリカが建国以来学習し、そして今も悩み続けている民族問題の裏返し効果なのだろう。単一民族国家だなどと見当違いの自慢をしている日本には、とうてい真似のできない制度なのかもしれない。
リンダ・ハッテンドーフのミリキタ二に対する施しには、アメリカ人の贖罪意識とともに、少なからず自らの行為に対する自己演出的側面を感じないわけではない。これがアメリカンヒューマニズムというものなのかもしれないが。一つの国の一人の人間の善意だけで、何かが許される分けでは決してないはずだという思いが心の中に残った。ただ、安定した生活の場を得た三力谷老人はいたって幸福そうに見えた。彼はアメリカという国でアメリカ人に戻って、最後の何年間かを幸せに暮らすのだろう。彼の過去を思えばそのことに異議など唱えることは出来ないし、そんな必要などないことだけは明白だと思う。
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