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[コメント] 転々(2007/日)

連れ合いと「コレって、「こういう会話あるよね」っていうのを見せたくて繋げた映画なんだろうね」という意見で一致してしまった映画なのだが、「でも面白かったね」という付け足しも一致した。☆3.7点。(reviewでは映画『紀子の食卓』の内容に言及)
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ただ、連れ合いには「父と息子の<記憶>」という側面は解らなかったのではないか。置き忘れた記憶と取り戻したい記憶。この設定について、三木 聡監督に安直さやあざとさは感じなかった。

偽装家族との「食卓での団欒」で、俺はすぐに『紀子の食卓』('05年)を連想した。オダギリ三浦小泉吉高が囲む食卓は、吹石つぐみ・同じく吉高光石が囲む食卓と較べて何と暖かいものだろう。メンバー(人物)が違うと同じ偽装家族でもこうも違うものかよ、と思って観ていたのだが、後でただ人物の違いではないのだと思い直した。

家族を求めていたのに失った者たちによる偽装家族と、本当の家族なのにそれを見失ってしまった者たちによる偽装家族。両者は正反対の性格を有している。前者は家族であろうと求め、後者は家族である意味を忘れてしまった。前者の鍵となる優しさの表現者として、オダギリ三浦は適任なのだろう。オダギリに関しては、漸くそうした役割を彼に持たせる事を、信用出来るようになりつつある。まぁ三浦友和だってここに至るには時間を要したのだから。

この作品の偽装家族に苛立ちを覚える向きも有ろうことは想像に難くない。所詮は偽装家族である事は事実。しかし現実に生きている人間は時として夢(散歩)に生きているのであって、それを逃げと取るか、それをも含めて実人生と取るか、そしてその夢に語るだけのモノが役者にあるのかどうか、という事だと思う。役者が語れたと感じ取れたのなら、その観客はその夢を少しは受け入れた事になる。

やっぱり両方吉高由里子だったか。『紀子の食卓』と較べてすっかり垢抜けて若き日の和久井映見みたいだったので、最初アレッと思ったが。その点では、この作品では寧ろ以前のような素直さが欲しかった気もする。(でも可愛いので赦す。蛇足)

(評価:★3)

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