[コメント] 愛の予感(2007/日)
殺し殺された子供達の存在は、誰があがなってやるのか。倫理的に許されない「愛(のようなもの)」を敢えて描くその姿勢に欺瞞はないのか。
反復される日常が執拗に描き続けられていくのにも関らず、何故か一定の集中でもってそれを見つめ続けてしまう。その牽引力はいったいどこにあるのだろう。何かが起こるのではないか、という期待のもとにそれを見つめ続ける視線の前に、少しずつ確かに何かが起こり始めていくその緊張感…だろうか。あらかじめ定められたミニマルなスタイルに自足し過ぎている嫌いはあるが、それによって描き出されたかに思えるものは、確かにこのスタイルでしか描き出せなかったものかもしれないとも思えるのだから、これはやはり成功なのかもしれない。
しかし、それでも思うのは、ここに描き出される「愛(のようなもの)」を描き出す為に、子供達の惨劇の話は本当に必要であったのか、ということ。それはこの映画に謡われる「愛(のようなもの)」を描き出す為のダシにされていないか。本当ならもっと省みられるべき殺し殺された子供達の存在は、誰にあがなわれることもなく放置されたままだ。あるいはこの映画の物語は、倫理的に許されない関係の二人に敢えて「愛(のようなもの)」を芽生えさせることで、普遍的な意味でのひとつの希望を描きたかったのかもしれないが、そう言う為には、殺し殺された子供達の存在はあまりにすっぽりと抜け落ちてしまっている(*)。だからそこには、一抹の欺瞞を覚えざるを得ない。
*)子供の死が作劇の踏み台にされているという意味では、『チョコレート』という映画を思い出さなくもない。
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