[コメント] エイリアン(1979/米)
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ギーガーの成体のデザインが男性器を模しているというのは有名な話だが、このセクシャルな造形を最大限に活かしているのはやはり第1作だろう。ここでの生物の生理の目的は、生殖のために相手を生殖の器(繭)にすることに尽きるのであり、捕食や、狩猟による殺戮の悦楽が目的ではない。改めてみると、じっくりと時間をかけ、捕捉に至る時間の使い方や、ランバートを手にかける際、壁際に追い詰め、愛撫するような尻尾の動きなど、「性愛」のイメージに近いのだ。また、チェストバスターが尻尾を相手の体内に挿入して産卵し、相手の腹を破って顔を出す幼生の頭部の形状と色(「出産」への潜在的な恐怖?男性の暴力性?)。成体の「第二の口」も、オリジナルイメージでは男性器であり、女性器を模した卵は、上映禁止を回避するために十字の裂け目を設けたのだそうだ。生々しい生と性の暴力的なイメージ。
この暴力的な純粋さに観客が感じる恐怖は、同じ「生物」としてのグロテスクさを鏡として見せられているような、潜在的な自己嫌悪によるものでもあるのではないか。これが顕著に結実するのが終盤で、リプリーの生身に近い下着姿を「生物」が襲うのは、単なる「サービス」シーンではなく、「強姦」の暗喩なのだと思う。このシーンは男性と女性で捉えられ方が違うのではないだろうか。男性には罪悪感を、あるいは背徳的な快感を。女性には強姦の恐怖、生理のグロテスクを。単に殺されることへの恐怖のみならず、生のグロテスク、自らの生の醜悪さを逆照射する。「似た者同士ではないか」というこの苦くささくれた感慨は、実は次作において、母の強さ、その美しさと恐ろしさをヒトと「生物」が共有する点で引き継がれている。「エイリアン」という優れたタイトル。
古典的なホラー手法の金字塔であると同時に、重層的で複雑な恐怖を喚起する。ここにリドリー・スコット、ギーガー、ゴールドスミスという才能が集った奇跡。撮影監督や脚本家のその後のフィルモグラフィがパッとしないところなど、ちょっと信じがたいのだが、とにかくその時点での頂点的な才能が奇跡的にあつまり、スコットが完璧に統制したのだろう。ブレードランナーにおけるシド・ミードとヴァンゲリスといい、この頃のスコットの神がかりときたら、いったいなんなのかと、改めて思わされた。
余談(40周年と聞いて再見。ちなみに宣伝になるから明記しないが、記念のTシャツが発売され、あまりにも素晴らしいデザインに刺激されて即買いしてしまったぞ。直接アイツが描かれてないというとんでもない奥床しさなのだ!是非ググっていただきたい。36歳のおっさんには少々キツイかもと思ったが、もう他人の目などどうでもいいのだ。)
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