[コメント] つぐない(2007/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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同じくアカデミー賞にノミネートされた『フィクサー』という映画が役者の力で作品の質を高めていたとするならば、この『つぐない』は脚色の力で質を高めたと言える気がする。
原作を読んでいないのになぜ脚色に関して言及するかというと、この映画を観ての一番の感想は「見事なプロットだな」というものだったから。これは僕にとってすごく珍しいことなのだ。
どうしてもプロット自体が良いと、それは原作が良いからなのだと思ってしまう。おそらくこの映画もそうだろうとは思う。しかし、原作が良いことを差し引いてもプロットが良いなと感じさせてくれる魅力があったように思えたからこそ、素直に「見事なプロットだな」という感想を映画に対して述べたくなった。
それはきっと、見事な脚色に適した、見事な映画演出があったからだろう。それを個人的にすごく感じた場面、それが序盤の一幕。
庭の噴水でのセシーリアとロビーの気まずい瞬間を、窓から眺めるブライオニー。このシーンを、先にブライオニー視点、続いてセシーリア視点と連続して描くわけだが、ここでふとした違和感を感じたのだ。窓から見たときと、近くで見たときと、セシーリアの濡れた服の透け具合が異なるのでは、と。かなりイヤらしい推測ではあるのだが、そうであってもおかしくはないとも思える。このあと続いていく一連のエピソードはブライオニーの主観的思い込みがすごく絡んでいて、客観的に見ると状況は全然違うわけだから。視点によって細かな違いがあってもおかしくないはずだと…。性に関して敏感に反応するブライオニーにとって、本来あった姿以上に濡れたセシーリアの姿が性的ないやらしさを持って感じられた可能性もある。ブライオニーがロビーが強姦犯だという誤解を強めていったことに、冒頭からすでに伏線があってもおかしくはない。
ふたりの視点から同じエピソードを描くことで二重の意味が生まれるが、この映画の場合、二重の絡み合いから見えてくるものはもっともっと重層的な構造になっている。ひとつのシーンで描けている部分が非常に多いのだ。圧巻だった海岸での長回し映像もそうで、映されているもの以上のものを伝えることに成功している。あのカットを見ただけで、戦闘シーンを永遠見せられるよりも簡単に戦争の悲惨さを伝えてくれるのだから。
そういったひとつひとつのシーンにしっかりと深い意味を持たせていくことが、プロットの良さを映画としての良さとして納得させてくれたのだと思う。映画という2時間で簡単にストーリーがわかってしまう手段で「贖罪」を堪能したあとでも、改めて原作も読んでみたいと感じさせてくれた。これも稀だし、この映画の丁寧な作りは単なる文芸恋愛劇の枠を上回っている。
最後に、ラストシーンで登場するインタビュアーが故アンソニー・ミンゲラ監督だったこと。これには少し哀しくなっていまいますね…。
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