[コメント] ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
たとえば、主人公と設定を台詞なしで表現しきる冒頭からの一連。仕事の合間にも赤ん坊を気にする父親が不意に赤ん坊そっちのけとなる描写で、油が湧き出ることの重みが伝わってくる。そうやって、物語上でも重要なキャラクターを、同時に描写の小道具としても機能させるあたり、脚本段階からの工夫が大いに見て取れる。
たとえば、油井噴出から炎上ヘのスペクタクル。大掛かりなセットをまったく無駄にしないカの入ったカメラワークに、奇抜な音楽がかっちり噛み合い、映画の目玉となっている。少年負傷→救出→放置のドラマ性もさることながら、大騒動からやがてパイプをくわえながら火柱を俯瞰するに至る主人公の佇まいが圧巻だ。
だが、本当に重要なのは次の二つのシーンだろう。
一つ目、いったん遠ざけた少年が教師と戻ってくるシーン。引きの具合が絶妙で、ダッコから降ろされた少年が主人公にビンタくれるくだりなど、寄せて撮っても出せないインパクトがある。
ニつ目、主人公が教会で辛酸を舐めるシーン。以前足蹴にした牧師との立場の逆転、萎えることを知らない男根のごときプライドが屈服させられ、支配される凄まじさがよく出ている。
後半、時間経過後の結は、上記二シーンヘのアンサーになっている。上記二シーンの成功は、ここまでの構成と盛り上げの成功を意味している。
ただ、その後、そのアンサーの方が失速を感じさせるのも、残念ながら事実だ。
義理の息子から縁を切られるシーンには先述の引きの画に匹敵するものが感じられなかったし、牧師と再逆転するボウリング上の場面にしてもそうだ。
先述の教会のくだりがなぜ強烈かと言えば、その構図が面白いからだ。それまで主人公は牧師を袋叩きにしていた。言ってみれば主人公がライオンで、牧師は食われる側だった。それがあの教会シーンでは、草食獣の方が肉食獣をいたぶる皮肉な構図となる。或いは、攻めとなるはずの者が受けとなるはずの者に犯される衝撃と言い換えたら良いか。
そんな構図のアイロニーが、ボウリング場のくだりでは、肉食獣が草食獣をいたぶる元の姿に戻ってしまう。普通に戻っても感慨は無いし、少なくとも構造的な面白さは減じてしまっているのだ。だからルイスの独壇場がそれを補わんばかりに加速したところで、いい加減飽きが来ようというものだ。
まあ、それでも、ピンでパカッ!パカッ!には何とも言えない余韻を感じたのだが、それは個人的な趣向の問題かも知れないので、多くは語るまい。
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