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[コメント] 書を捨てよ町へ出よう(1971/日)

フライト’71〜。
町田

詩人と作曲家と棋士の頭の中には「宇宙」が詰っていて、常人が努力してもそれを手に入れることは絶対に出来ない、というのは僕の持論である。

例えば、大島渚らが既成の映画に対し起こした「叛乱」は、湖の水面に浮かんだ「波紋」か「さざ波」くらいのものでしかない。それは彼らが投げた石コロが映画という大きな湖の「枠内」に向けられていたからである。

これは彼ら「映画人」の定めのように思う。映画人が自己表現出来うるのは、哀しいことに映画の中だけだ。

寺山修司というこの山師のような歌人(詩人)には、口先三寸で世の中渡り切る、という決意と自信が漲っており、映画はそういう自己を表現する一つの舞台でしかなかった。湖の水面に目を落とす必要が無った彼はどこに向かって石を投げたか。

空にである。

或いは自分の足元に広がる湖の中に、或いは湖の外の地面に落ちるかもしれない。自分の頭の上に落ちてくるかもしれない。

結果なんて知らんのである。どーでもいいのである。とにかくこれが出来ちまったのある『書を捨てよ町へ出よう』が。

僕にはこれを映画と呼んでいいのか正直わかりません。というか何が映画で何が映画でないのか。映画館で掛かってんだから映画なんだろうとしか言い得ません。

優れた想像力とその産物は時代を越える。

寺山修司が飛ばしたこの人力飛行機は'71年の公開から今日に至るまで、そのままの風体で世界中に広がる銀幕の空を飛び続けている。

(評価:★4)

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