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[コメント] ぐるりのこと。(2008/日)

実に器用に、器用に、橋口監督は“不器用”を紡ぐ。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 おもしろかった。リリー・フランキーが思いのほか落ち着いた立ち振る舞いで、映画の中心に佇んでいた。夫婦の会話は互いのキャラクターを引き立たせながら、時の流れとともに移ろうその関係性を明示した。法廷画家という設定が、激変してゆく「社会」と「家庭」との距離感を一定に保ちながら映画時間にリアリティを与え続け、殺人者たちの剥き出しの悪意は夫婦間の小さな、だけど深刻な騙し合いと対比された。妻が「四季の絵を描くこと」は内向的な精神が外へ開いてゆく過程を象徴的に現していた。キャスティングも絶妙で、怒鳴り込んできた江口のりこと泣きじゃくっていた木村多江が一瞬対峙した場面など、森田『阿修羅』の大竹vs桃井を凌駕する興奮があった。

 かように、この映画は、映画としての“正解”に満ちていたように思う。橋口監督はとても器用な人だ。「君の手が小さいなら、僕のちんぽが大きく見える」というセリフは「君の弱さが僕を強くする」と言うよりずっと効果的に心情を伝えるということを、橋口は感覚的なレベルで理解している。彼の中にインプットされた痛みが、物語に形を変え、純度を与えられてアウトプットされている、橋口亮輔の映画はそういう映画だ。ありていに言えば、「文学的」という修飾がよく似合う。

 ショウコは一人目を流産し、二人目を中絶する。橋口はそれを、子供を殺した犯罪者たちと対比させた。映画はそのショウコの中絶を赦さなかった。赦さないままに彼女を回復に導き、幸せな未来への希望さえ与えた。彼女はこれから、その事実を隠し続けて生きていくことができるのだろうか。あるいはその事実を背負ったまま幸せを謳歌していくことができるのだろうか。

 できやしないだろう。

 この映画時間から数年後、おそらくショウコはカナオに「私はあなたに黙って中絶をしました」と告白するだろう。そしてまた泣くんだろう。カナオはきっと、そんなショウコを赦すだろう。そこまで描いてはじめて、この物語はようやく終わりを迎えるはずだ。だが、橋口はそこまでは描かない。あるいは、描けない。ショウコの罪を赦すカナオのセリフを、彼は書かない。あるいは、書けない。それはきっと、彼が“不器用”だからだ。実に器用に、器用に、橋口監督は“不器用”を紡ぐ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (11 人)jollyjoker[*] DSCH くたー[*] 緑雨[*] 死ぬまでシネマ[*] 3819695[*] moot おーい粗茶[*] ぽんしゅう[*] 浅草12階の幽霊[*] Santa Monica

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