[コメント] エイリアン3(1992/米)
そもそもフィンチャーは「エイリアン・シリーズ」の大ファンだったらしいのだが、ハリウッドの製作者サイドに縛られやりたいことができず、フィンチャー自身も本作を「偉大なる失敗作」と位置付けている。しかし、ちょっと待て。 たとえば、なぜ、あんなにもフィンチャーの映画は「対ハリウッド」を意識して作られているのか?なぜ、あんなにもフィンチャーの映画は「健全な大衆」を挑発しつづけるのか?・・・などなど、ファッキン・フィンチャーが、この映画の「偉大なる失敗」から、いかに多くを学んだかがよくわかるんじゃないか?
つまりそれは、現在のハリウッドが映画から「想像力」を奪っているというクソのような事実。たとえばそれは、『ロード・オブ・ザ・リング』だとか『ハリー・ポッターと賢者の石』だとか『スパイダーマン』だとか、過去のファンタジーを再生産することしかできなくなってしまっているハリウッドの悲惨な現状(個人的に、最後の『スパイダーマン』にはちょっと期待してるんだけど)。「ファミリー層」や「お子様」をターゲットにした薬にも毒にもならない映画ばかり。ああ、もうカンベンしてくれ。そんな乳臭いお遊戯に付き合ってられるほど、いまの僕は暇じゃない、そして金もないぞ・・・マジで。
ある映画評論家は『ファイトクラブ』をこう酷評した。「反資本主義的であるばかりか、反社会的、さらには反宗教的な映画に7000万ドルも費やすなんてけしからん」と。この映画評論家はバカか?これで批判してるつもりらしいが、フィンチャー・マニアは皆、その「反資本主義的」で「反社会的」で「反宗教的」(そもそもどういう意味?)なところに惹かれているんだぞ、わかってんのか!
そして、「ヌーヴェル・ヴァーグ」や「アメリカン・ニューシネマ」を例に出すまでもなく、本当に映画が腐ってる時にこそ、本当に狂った映画作家たちが出現する。デビッド・フィンチャーは、そんな狂った映画監督の1人なのだと、僕は心底信じている。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。