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[コメント] スピード・レーサー(2008/米)

写し撮られたのではなく、撮られ描かれた近景と遠景、現在と過去が交錯する極彩色のコラージュは確かに映像アートの域に達しているのだが、マシンとは当然のごとく「機械」であり、そこには確かな重量感が必要で、その重さの実感と制御こそがスピード感のはず。
ぽんしゅう

車のスピードを実感するには、機械としてのメカニカルな重量感が伝わることが基本だと思う。その重量が地面との摩擦に抗いながら疾走し、ときに重力にまで反発し空を舞うるスリル。その人知の自然への抵抗こそがスピードがもつ恐怖と爽快であり快感のはずだ。残念ながらこのマッハ号には、マシンとしての魅力、すなわち人為的英知を集めた機械としの存在感、つまりは重量感が皆無だ。レースシーンもまたしかりである。奇しくも同年に公開された『ダーク・ナイト』を観ていれば、私の言いたいことは容易に想像がつくだろう。

子どものころレーシングカーのブームがあった。8の字型に組まれたプラスティック・レールの上をくるくるとレーシングカーが疾走する玩具が大ヒットした。車は現物の正確な縮小版で、玩具とはいえ目の前に繰り広げられるミニチュア版レーシングワールドで起こるつばぜり合いや転倒は子どもたちの想像力を刺激して、勝手に自分のリアルを夢想しては興奮したものだ。今ではレーシングカーのリアルとは、TVゲームのモニターのなかで繰り広げられるスピード体験なのだろう。しかし、そのスピードがもつリアルは、決してモニターの枠を超えて現実の世界に飛びしたりはしない。この映画のスピードもまた安心して観ていられる範疇なのだ。そんなことを感じてしまうのは、やはり私が古いのだろうか。

いや、そういえば、ゲームに刺激された小学生や中学生が、現実世界で車を運転しトラブルを起こしたというニュースも今年(08年)の出来事であった。車がいっこうにモニターから飛びなさないあまり、自分が車とともに現実世界へと飛びだしてしまったわけか。重量感のともなわないリアルは、恐怖を封殺して快感のみを増幅したリアルでしかない。この映画への私の不満は、そこに凝縮されている。

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本筋とははなれた話しですが、私も1967年(昭和41年)に放映されたテレビ漫画版(当時、アニメという呼称はまだ市民権を得ていなかった)に熱狂した世代です。あのテーマ曲が流れる長いエンドロール。この至福のときよ、永遠に続けと念じたこと告白するとともに、原曲の作者越部信義※の名前をリンク付きで記載させていただきます。

〔蛇足〕 ※越部信義氏は、演劇、アニメーション、TV番組、CMソングなどの作曲・編曲家で、「鉄人28号」(1963年) 、「パーマン」(1967年)、「みなしごハッチ」(1970年) や、童謡の定番「オモチャのチャチャチャ」、もう少し若い世代の方なら「ひらけ!ポンキッキ」の「はたらくくるま」なんかもそうです。

(評価:★3)

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