[コメント] ひゃくはち(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
誰かが自分のために泣いている、泣いてくれている。その姿を見せまいと、自分の前では懸命にこらえてくれてもいる。悲喜こもごもがそこにある。その存在を知って、僕らは少し大人になる。
今すぐにもう一度観返したい。ここ最近観た中ではベストだ。
コメント欄に書いた「レギュラー発表後の真夜中のテレフォン」のシーン。登場人物のエモーションが実に映画的な演出・アクションを通して描かれる。作品のテーマを確かなものにした、白眉の名シーン。
そもそも冒頭のセットアップの巧みさからして、この映画、かなり期待できるのだ。夏の甲子園。三年間の想いをのせて、グランドを駆け回る高校球児たち。砕け散る青春。もうこう書いただけで文科省のお墨付きがもらえそうな定番の場面。そこの描き方がいじわるで、ひねくれていていい。高校球児たちは天使なんかじゃない。108を優に超える煩悩を持てあましたクソガキどもだ。それは例えば野球部の伝統の後輩へのイビリ行為として噴出したりする。やられた方はそれをきっちり恨んでいたりする。煙草だって吸っちゃうし、酒も飲んじゃう。果ては早々に童貞すら捨てている。うん、リアルだ。それにニヒルだ。まあ、男子高校生なんて、こんなもんだ。
そこから始まる主人公ふたりの凡人としての戦いが素晴らしい。人は誰しも、自分なりに自分の限界と戦っている。高校野球を舞台にすれば、プロになるやつもいれば、甲子園常連校のレギュラーのやつもいて、一方で公式戦で一度も勝てないチームのエースもいれば、そのチームの補欠部員だっている。作中でもそうだ。練習が厳しいからやめていくヤツ、弁護士になるといってやめていくヤツ、レギュラーとしてプロ入りを狙うやつ、そして、ベンチ入りの当落線上で必死の攻防戦を繰り広げるヤツ。市川由衣に戦う理由を問われれば、それは判らないと答えるしかないだろう。それでも彼らの戦いは厳然としてそこにあり、きっとエンドロール後の今尚続いている。リアルな世界を生きる僕たち観客一人ひとりにとってもそれは同じことだろう。
息子のベンチ入りを聞かされた時、光石研の受話器の向こうで震える声。朝からずっと気にしていたのに、知らなかったフリをするその優しさ。竹内力の諧謔味のある訓示。そしてベンチ入りを発表するとき、選ぶ側の責任を敢えて引き受けようとするその態度。こういった大人たちの大人たちによる大人たちなりの優しさに、子供たちの青春時代とやらが支えられていることも忘れてはならない。それに気づかせてくれる、名演とシナリオの誠実さが光る。
「不謹慎だけど喜べ!」と泣き叫ぶ少年。転んだ息子に「早くたて!」と本気で恥ずかしがる父親。この監督はバランス感覚がいい、フィクションでありながら、リアルの観客の心の動きに寄り添った演出に終始好感がもてる。
まだまだ賛辞をおくりたいところだが、このへんにしておこう。年に1回は観たい、マイ殿堂入り決定です。
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