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[コメント] おくりびと(2008/日)

人に対する尊厳ということの意味が初めてわかったような気がした。死ぬ前に一度は観ておくことをお薦めしたくなる一品。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







オケから棺桶(おけ)に転じた男が、ウジに食われる骸と温かく柔らかい妻の体を通じて思う、人の肉体的に生きているという意味。納棺師という仕事に対し、命を吹きこみ感動を生み出すという点に芸術に通じるものを見出すチェリストとしての彼の心性。聖歌の演奏と山盛りのチキンを前に、他の命を食らうことが、「困ったことに美味い」と言う社長。死というものは門をくぐるようなものだから、いってらっしゃいといつも声を掛けるのだという火葬場職員。自分たちにとってとてもいい人だったから最期を肉親に引き渡せてよかった、と安堵する漁師。あんななりになっても笑った顔は俺の子供の顔だった、と泣く父。その人の生前のあらゆる表情を凝縮し、いままでで一番きれいな妻だった、この人ととはこういう人だったのかと、改めて知らされる夫…などなど、笑いを交えながら描いていく、人が死と向いあう場面の数々がどの場面もとても良く、生と死、俗と聖の境界に即した彼らの達観や心情を見るだけでも充分満足だったのだが、この作品はもう一歩そこから踏み込んで語ろうとするテーマがあると思う。

人の命は尊厳されなければならない、という。だから命を失って後に納棺師が果たす役割というものがある。納棺師は、残された者たちが故人の命を尊厳するための手助けをするわけだが、それでは「尊厳する」とは具体的にどういうことなのだろう。

死に化粧を施され棺桶の中で再び命を与えられたかのような故人を前に、残されたものたちは息を呑んで、そして、その人とはどういう人だったのか、その人は何を望んでいた人だったかと考えるのだろう。もはや死者は自ら語ってくれない。だから、その最後の別れの時、一生懸命になってその人の思いを理解しようとするのではないか。物言わぬ石の思いを読み解くように。

「言えば反対するだろ」と繰り返す口下手な夫は、自分の職業が誇り高いものであることを筋道たてて説明できない。それもまた「物言わぬ」思いであろう。それを妻が自分の価値観を超えてやっと理解していく。そのことの困難さや大切さを作品は語ろうとする。生者も死者も同じことだ。人に対する尊厳というのは、一生懸命になって相手のことを理解する行為、そういうことなのではないか、とこの作品は言っているように思うのだ。

作品を通じて、妻が最後には「夫は納棺師です」と言わせることこそテーマであるとすれば、まさにそのままその台詞を言わせるという場面を作り出した上手さに唸ったり、父が握り締めていた石というのを始めいくらなんでもベタだろと思う場面もいくつかあったけど、まあそういう場面もどこかでそうあって欲しくもあったり。山崎・本木両氏が本物もかくやとばかり披露する納棺清拭の所作の、衣を引く時にシャーッたてる音までも計算されているかのような、布団と着物を交互に入れ替え裸身を隠しながら着替えさせる古人の(そんな古人でもなかったりする?)工夫にも感心したり。見所も多くとても満足した。

(評価:★5)

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