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[コメント] おくりびと(2008/日)

死者のアイデンティティ(その人らしさ)を描いた映画だが、多くは、あくまでも残された者の自己満足として充足してしまい、落ち着きが悪く、複雑な心境にならざるを得ない。ジェンダーの問題もそう。「今までで、一番綺麗」なんぞは、容認し難いファンタジーだと思う。父親の顔のフォーカスも象徴的だ。
ゑぎ

 葬礼とは、残された者のための儀式、ということは自明の理なのかもしれないが、そうだとしても、独善的な場面を立て続けに見せられているという感覚が残り、心地悪い。

 というような、およそ映画とは関係のない感想ばかりがまず思い浮かぶ時点で、大した映画じゃないのだ。

 あるいは本作の広末涼子のキャラクターの酷さには目に余るものがあるが、それを広末の責に帰するのは間違っていると思う。彼女は、一見聡明な女性として登場する。しかし、あくまでも男性目線での理想的な妻なのだ(夫の窮状を理解し、高額な秘密の借金にも文句を云わず、山形へのUターンにも従う、あるいは嘔吐後の強引なキッチンセックスにも応じる等)。中盤になって、夫の(これも隠していた)職業を知るや、差別主義者に変貌する。後半では、夫の仕事ぶりを目のあたりにし、その仕事の価値を理解し改心する。ま、結局、素直と云えばそうなのかも知れないが、自分の信念というものを持たない、アホとして一貫して描かれていた訳で、プロット展開のための奴隷のようなキャラだと思う。こゝまで酷いと、もう女性蔑視と云えるのではないかと思ってしまうぐらいだ。これは当然ながら、プリプロダクションで、こしらえられた設計図が悪いのだ。また、映画は工業製品ではないのだから、設計図がダメでも、撮影現場で修正が可能なはずで、それをしなかったスタフ、ひいてはその責任者である監督の所為なのだ。なので、本木や小山や滝田に付き合わされた広末が可哀そうだと思うのだ。というような感想も、映画的な話ではありませんね...。

 さて、ちょっとは映画的なことを書いておきましょう。ファーストカット、霧と吹雪の向こうから車のヘッドライトが現れる、この始まりはなかなか良いと思った。少なくも、その志向性はいい(しかし、自動車の中にカメラが入った途端に画面が平板になり、限界を露呈するのだが)。全般に本作のロケーションと美術装置は見応えがある。山形でのローションハンティングは悉くいい。母が残したスナック、銭湯「鶴乃湯」、坂の途中にあるNKエージェントの建物、鳥海山がバックに見える土手等。装置では、事務所の2階、山崎努のいる部屋の造型が、かなりキャッチーで目を引く。しかし、こゝも、窓の向こうに雪が降っているのは良いのだが、もっともっと窓を活用すればよいのに、と残念に思う。ラストの部屋にある大漁旗と和太鼓はノイジー。(海外市場向けの画面か。)

(評価:★2)

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