[コメント] 見知らぬ乗客(1951/米)
ヒッチコックの象徴的映画作法が、バランスよく提示されたサスペンス映画のお手本的作品である。ガイとブルーノの出会いを、2人の足下のアップで追いかけながら、列車の中で靴を触れ合わせることで描くシーンは不吉な予感を生み、物語の導入として実にうまく、テニスコートの観客席にいるブルーノが、ひとりだけボールの行方を追わず、ずっとガイを見つめている様はサイコな怖さをよく表し、ラストシークェンスのテニスコートと遊園地のカットバックでクライマックスまで進展させる語り口は、行きを飲む性急なサスペンス話法を心得ているなど、象徴的造形、配置、映画的な構成が実に優等生的な色合いで実現されている良質な作品となっている。しかし、ガイの奥さんミリアムはブスなことしきり。ヒッチコック映画では“メガネをかけた女性”キャラクターが特に印象的な(象徴的な)役割で登場するが、ここに登場する2人のキャラクター、すなわちミリアムとガイの妹(ヒッチコックの娘パトリシア!)は、対比の関係にある。ガイの妻ミリアムは、頑迷な悪女として、ガイの妹は聡明なお転婆として。両者はいずれも、視力が衰えているという先天的な状態をメガネをかけることで補正しているが、ヒッチコックのそこに置く象徴は、“メガネ”=“歪んだ現実を生むフィルター”である。しかし、そのフィルターには、良いフィルターと悪しきフィルターがあることを本作では実にわかりやすく対象を対比的に描くことで明かしている。しかし、ヒッチコックにおける、メガネという現実を歪曲する視覚についての執着は相当に根深いものである。その強度を思えば、ヒッチコックが視覚的造形に象徴を込めようとする意志が読み取れようというものだ。だがやはりその分、心への分析が足りないのは本作でも同じである。また意外であったのは、サイコな性格造形がなされているブルーノの人物描写を、人物同士の語りで知らしめているところが多いのが気になった。ブルーノの行動、言動が見るからにおかしいのはわかるが、ヒッチコックならもっ強烈に、ブルーノの変態ぶりを表す行為を画にしてもよさそうなもの。 ともかく、ヒッチコック入門としては、本作をおすすめする。随所に手塚治虫的ミステリーな感じもまた時代を感じさせる。
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