[コメント] 私は告白する(1953/米)
ヘタすると、ダラダラと説明の羅列で終わりそうな物語を、編集、構成、アングルでしっかり引き締め、牧師の自転車など細かい遊びの要素で膨らみを持たせているトコロなどは、さすがの手練。しかし今回は、物語自体も面白かったです。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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神父としての禁忌に並行して、犯人がドイツからの亡命者という設定も大きな意味を持っている。捻じ曲げられた事実の下にヒステリックに神父を糾弾する大衆。その操作された大衆の恐ろしさを、この夫婦は身をもって知っている。同じ過ちを繰り返そうとする夫と、その光景に悪夢を呼び覚まされる妻。一方ローガンに関して言えば、あえて身の上を知りながら、夫婦に手を差し伸べるその姿から、彼の目には第二次大戦がどのように映っていたのかも想像に難くない。
始めはケラーの小心な保身でしかないが、彼の怯えは殺人の発覚という表向きの恐れから、徐々に開き直るにつれて、周囲から疎外されることへの恐怖も根底にあることが分かる。傍らに妻がいるとはいえ、彼は無意識のうちに孤独の淵に立たされていたのだと思う。そして、社会からつまはじきにされるローガンの姿に、屈折したシンパシーを感じてしまったのではないか、とラストの顛末を観ながら思う。加えてアメリカとドイツという安易な先入観をもたらすような構図ではなく、少なくとも英語だけではない言語も飛び交うケベックという地に舞台を置いたことで、その孤独が安易な善悪に埋没することから多少救っているような気もする。
しかしあえて言うと、夫婦間の遣り取りだけでもドイツ語を使っても良かったのではないか、という少々の不満もあり。
(2007/1/27)
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