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[コメント] マーニー(1964/米)

脆い心を自ら必死で支えるヒロインをティッピ・ヘドレンが好演。ヒッチ作品にしては、全篇を通じて一個の女性の生を描いている点が新鮮。かつヒッチの簡潔で知性的な演出の枠に収められた完成度。謎の解明よりも、そこに至る過程を味わう作品。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラストで明かされる、マーニーの盗癖の理由は、喪失感の補填という、分かりやすいが面白くも何ともないものだ。では彼女の盗癖は、金庫破りシーンのスリリングな演出や、マーク(ショーン・コネリー)との夫婦生活を余儀なくされるプロットに貢献するためだけに要請されたのか。否、計画的な窃盗のために、マーニーが偽名を使い、変装もするということ、これが彼女の、トラウマ的な記憶の抑圧に伴う自己喪失の端的な表現となってもいるのだ。題名でもある「Marnie」という名は、重要な要素なのだ。

「赤=鮮血」という象徴化は、殆ど「黒=暗闇」や「緑=植物」と同じくらいに慣習的な連想であり、捻りや意外性の欠片もないのだが、その一方、物言わぬカメラによって、観客の心理を操り、またマーニーの倒錯した心理を描ききる演出力が巧みだ。

マーニーが新婚旅行の船内で、拒み続けていたマークと遂に一夜を共にするシーンでは、ベッドから、丸い窓の外の青い海へとカメラが動くことで、一夜明けてマークが、部屋に不在のマーニーを追って、まさか海へ身を投げたかと恐れるシーンのサスペンスをもたらす。或いは、金庫破りシーンでの、清掃婦と、彼女に気づかずに金庫から盗むマーニーを同時に捉えた構図が延々と続くカットや、去り際のマーニーが、黒人の男とすんでのところで鉢合わせせずにすれ違う緊張感、更にはこの男が清掃婦の耳元で大きな声で話しかけることで、マーニーが誤って靴を落とした音に清掃婦が気づかなかった理由が明らかになるという効率性。カットの長短を巧みに調節しているが、それは所謂“編集のリズム感”などに基づくものではなく、そのカットがもたらす心理的な効果の計算という、理性的なものだ。

赤い花に目眩を起こすマーニーは、“少女の頃のマーニーのような金髪”と母が語る少女への嫉妬に目眩を起こしているようでもあるし、オフィスで赤いインクを同僚から借りたマーニーが、それをブラウスの袖に溢して目眩を起こすシーンは、窃盗目的で偽りの自分を演じる生活そのものへの目眩を起こしているようにも見える。狩猟シーンでの、狩猟服の赤への脅えは、獲物に獰猛に喰らいつく狩猟犬たちを見て笑う人々の残酷さへの目眩でもあっただろう。また、冒頭の窃盗シーンでマーニーが抱えるバッグ(盗んだ札束が入れられている)の、目にも鮮やかな黄色は、黒く染めていた髪を洗ったマーニーの金髪や、母の家のシーンでの少女の金髪へと、さり気なく接続されているようにも見える。

狩猟シーンで愛馬を駆って逃げ出したマーニーは、自分の動揺のせいでその馬の脚を折らせてしまうが、彼女がピストルを借りて愛馬を安楽死させる行動は、マーニーを追ってきた義妹が動揺しながら薦める「男の人に頼んだら?」という言葉の拒絶とも相俟って、本来ならば暴力に恐れしか持たない筈のマーニーが、むしろ他ならぬ暴力への脅えによって、母を守る為に殺人を犯してしまったこと、その結果、「男の人」を拒むようになったことなどが、ラストシーンでの真相解明に先立って描かれている。

義妹は、亡き姉と自分自身の場を奪うようにやって来たマーニーに、疑惑と拒否感を示し、マーニーの正体を暴こうとしていたのだが、この狩猟シーンでは、トラウマから逃れようとするマーニーの後を追って共に疾走した末に、マーニーが愛馬の苦しみを前にして、偽りの仮面なき素顔の弱さを見せることに対して、同情と気遣いを見せる。そのことで、観客にとっても、悪女としてのマーニー像が氷解していくことになるだろう。

このシーンで足が折れているのは愛馬だが、母もまた、九歳のマーニーに悪戯しようとした暴漢によって脚を折られていた。この、脚が不自由だという設定によって、マーニーが劇中で最初に悪夢を見るシーンでは、一足一足、母が階段を歩いて下りる音が、マーニーが眠るベッドの傍で窓ガラスを打つ、シェードの引き紐の先の音と連結される。この音はまた、暴漢が三度ノックした音というトラウマ要素とも接続することになる。

愛馬を自ら射殺したピストルを手にしたまま屋敷に帰ってきて歩き回るマーニーの姿を、彼女の周囲が殆ど見えない、寄りのショットが捉え続ける。自らの殻に閉じこもった状態で彷徨するマーニーの心情を、的確に捉えるカメラワーク。こうした数々の画に感じられる演出的な計算は、その必要充分さ、ミニマムな簡潔さそのものが美しくもある。

マークの亡き妻が先住民の遺物を収集していたことや、社長業よりも生物学に関心があったというマークの語る、動物から引き継いでいる本能の話など、マーニーが深く関わることになる彼にも「過去」と結びついた要素が付与されている。その妻の遺物を、稲光と共に窓から飛び込んできた樹が破壊するシーンの強烈さ。こうした、台詞によって語られるだけで姿も見せない存在が暴力的に介入してくるサスペンスを描かせたら、ヒッチの右に出る者はなかなかいない。

(評価:★4)

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