[コメント] チェンジリング(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
クリント・イーストウッドの作品に共通するものは”罪”ですね。”罪”とはあらゆる意味で”罪”といえるものです。
『許されざる者』という映画もそうでした。この作品が彼の分水嶺となって、その後の映画監督としての輝かしい経歴を作り上げてゆきます。
『マディソン郡の橋』にせよ、『ミスティック・リバー』にせよ、『トゥルー・クライム』にせよ・・・です。
そして最も罪深い映画として『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』に到達します。その罪とは「戦争」という理由によるものです。
罪は何を理由とするものなのでしょうか?
そんな極限の状態と常に維持しようとする晩年のイーストウッドは全くその衰えを見せません。それはまるで『ダーティーハリー』で挑んだ罪とは全く異なる側面に接しているような、ある意味罪滅ぼしをしているようにも思えますね。
今回の作品では、警察の罪が描かれています。『LAコンフィデンシャル』ですね。
1928年といえば、日本では昭和になった時代ですね。
そんな前時代的な世界で子供を奪われた母親の苦しみを淡々と、そして冷静に描いています。
ではイーストウッドはなぜこの時代にこの映画を作ったのでしょう?
それは、もしかしたら、子供を失うことを罪と思わない現代を対比させようとしたのかもしれません。子供を失い、自らの力で子供を捜し、多くの障害を乗り越えて真実をつかもうとする母親の姿に、現代の母親が子供を虐待し、子供を虐げる姿を映し出そうとしてるのではないでしょうか?
最後のシーンで、母親は他の子供が尋問を受けているところを鏡越しに涙を流してみつめています。そして自分の子供が尋問されている子供が逃げるのを助けたという話に共鳴し嗚咽します。そんな意識の中で親子の繋がりを示して、この映画は静かに終わります。
これだけの逆風を乗り越えて、生きているか死んでいるかわからない自分の子供の希望を託すことなど、果たして現代の親ができるのでしょうか。
子供を失う悲しみとともに、自らに置き換えることのできない臨場感を味わわせる、強烈な映画だったと思います。
2009/10/4
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