[コメント] チェンジリング(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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この映画が数多きイーストウッド作品の中でも指折りの傑作だと断言しうる所以は、物語が動き出す前の序章といえる部分で示されるクリスティンの母親としての愛情の深さが、物語が動いていく中においても全編を通して見事に貫かれているからという、その1点に尽きると思う。そう、この物語は、ロス市警の腐敗云々をサイドストーリーとして備えつつも、その軸は間違いなくクリスティンの母親としての我が子に対する思いの深さについての映画であり、その物語が進められていくうえでのひとつひとつのショツトに全くもって無駄がないことにも大変な驚きを感じた。
空撮で始まることが多い彼の映画だが、本作ではまず一見してそれと分かるロスの風景と古き時代を感じさせる町並みや路面電車がワンカットで映し出される。非常に印象的なオープニングであると同時に、とても効率的な舞台説明である。続いてカメラは、物語の柱となるコリンズ親子について語る。決して長くはない序章だが、それでも我々はカメラが映し出す何気ない日常の風景から、シングル・マザーでありキャリア・ウーマンでもあるクリスティンの一人息子ウォルターに対する愛情の深さを思い知ることができる。
ここでは特に彼女が元夫について語るシーンが印象的だ。責任から逃れるために彼女と子どもの元から去った父親について彼女の口から話させることで、そういったものを超越して我が子を愛する母親としての彼女の強さや思いが際立った。また、休日出勤で我が家を離れる際、彼女の歩行に合わせて窓越しのウォルターが遠ざかっていくシーンも印象的だ。こういったシーンがあるから中盤〜終盤にかけてのクリスティンの行動に説得力が生まれたようにも思う(ただ、この序章における音楽の使い方はやや過ぎたところがあるように思った。まぁそんなことは、全く取るに足らないことではあったのだが、この映画全編を通じて唯一気になったところとして敢えて記しておきたいと思う)。
その後、物語はウォルターの失踪という事件を発端に、ロス市警の腐敗、偽ウォルター、精神病院への強制入院、ゴードン・ノースコット事件等々、伏線とするには勿体ないくらいの伏線が次々と現れて一気に加速していく。そしてそのそれぞれの舞台においてイーストウッドはサスペンス、ホラー、西部劇、裁判劇と、まさに百戦錬磨の職人技で映画を魅せていく。特に路面電車や汽車、古いフォードといった乗り物に対するこだわりの素晴らしさは嬉しい限りなのだが、その辺りについてはここでは割愛したい。
そのような展開を経てこの映画は、長編を感じさせない緊張感とともに終盤を迎える。ただ、この辺りになると肝心のウォルターの生死が明らかにならないまま彼は死んだものとして進められていく展開に、私もクリスティン同様に今ひとつ釈然としない気持ちを抱いたまま物語が終わりへと近づいていることを感じていた。このままで本当にいいのか、彼女はこれらの結果に本当に満足しているのだろうか。疑問は尽きなかった。そういった疑問が生じるのも彼女の我が子に対する思いの深さが画面を通じて痛いほど伝わってくるからに他ならないのだが、そんな彼女や私の思いを見透かしたように用意される、クライマックスのノースコット事件の生存者である子どもの「ママの元に帰りたかった」という一言と、その一言とともにたまらず我が子の元へと駆け寄る少年の母親のショット。私はクリスティンとともに号泣した。最後の最後に、その先に見えるかすかな希望の灯を感じさせてくれたイーストウッドの演出にまさに言葉を無くしながら。また、さらなる希望を与えてくれる、彼らしい「It Happened One Night」の看板というラストショットにも。
最後になったが、本作に品格を与えたトム・スターンの引き算に徹した撮影の見事さと、非常に難しい役柄を見事に演じ切ったアンジェリーナ・ジョリーに最大級の賛辞を呈したいし、並みいる候補者を差し置き、クリスティンを演じるのは彼女しかいないと言い切ったというイーストウッドの選択にも大きな拍手を贈りたい。
正直に言っておくと、この映画は決して気軽に楽しめる作品ではない。しかし、この傑作がより多くの人たちに観られることを、私はイーストウッドのファンという垣根を越えて一映画ファンとして強く望んで止まない。
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