[コメント] 7つの贈り物(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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財産はおろか自らの肉体まで他人に無償で提供するウィル・スミスは、それに先立って、他人の私的な領域への侵入者でもある。臓器提供対象の候補者たちの許へ、「国税局のベン」(=他人から税金を「持っていく」立場の人間として介入する存在)という立場で訪ねる事。国税局員としての身分証明書も弟の物を無断で借用していた事。自分が救ったホリー(ジュディアン・エルダー)が職務上閲覧できる個人情報から、「助けを求めている人」についての情報を入手する事。
加えて、盲目のエズラ・ターナー(ウディ・ハレルソン)に嫌がらせの電話をかけて彼の忍耐力を試すなど、他人の内面にまで土足で踏み込むような言動さえ見せる。少年ホッケー・チームを指導するジョージ(ビル・スミトロビッチ)に「あなたは他人が見ていない所でも善人だ」と告げる台詞など、見えていない筈のものさえ見抜いているかのようであり、こうした辺りがこの映画にどこか不気味な印象を与えているのだろう。自らの血と肉を分ける行為や、他人が善人か否か試みて秤にかけるなど、その振る舞いの殆どキリスト的なまでのラディカルさは却って非人間的な雰囲気さえ漂わせる。
心臓に疾患のあるエミリー(ロザリオ・ドーソン)の、逞しい生活力や明るさの中にも時に脆さの覗く様子が魅力的で、もしその心臓さえ悪くなければ前向きに生きていけるのであろう事が想像できるキャラクター性は、後のティムの行動にも必然性を与えている。彼女と共に居る時の「ベン」=ティムは、言葉や表情を押し込めながらも慎重に関係を築いていこうとする態度がより顕著に表れており、二人が交わす会話の間(ま)が実にドラマチック。
対して、ティムが事故で失った恋人サラ(ロビン・リー)は性格さえよく分からない抽象的な存在としてしか描かれていない。ティムの絶望と悔恨を最も体現する存在である筈の彼女は、ティムの異常な行動に一応の理屈付けをする以上の事を為さない記号としてしか機能していない。回想シーンでは、彼女よりも、事故で衝突し横転する車の中でかき回される六人や、回転しながら破壊される車から飛び散る部品、という画の方が印象に残る。
ティムの自己犠牲に最もそれらしい根拠を与えているのは、やはり、少年時代に水族館でクラゲを見た出来事の回想シーンだろう。「父は、この世で最も強い毒を持つ生き物だと言ったが、私にはそれは、最も美しい生き物に見えた」。死の美の吸引力。ティムの、過去のトラウマや、人道的な振る舞いは、「死」か「善」か「愛」か、ともかく何か絶対的なものに同一化しようとする彼の偏執的な志向のエクスキューズに過ぎないだろう。
原題「Seven Pounds」(七つの鼓動)や、伸縮を繰り返しながら泳ぐクラゲの姿、エミリーの新型印刷機が治った際の、シュ、シュ、と音を立てて反復運動をする動きなど、「心臓の回復」という結末には途中で気が付かざるを得ないが、薄い青色が印象的だったエズラの瞳が最後に漆黒のそれとなってエミリーを見つめ返すという、ティムの「復活劇」は、結末に涙した人でさえ、この場面から受けたショックが反転しての感動ではなかったかと思えるほどだ。
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