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[コメント] スラムドッグ$ミリオネア(2008/英)

何だかむかしの本宮ひろ志のマンガみたい。これをやるなら今じゃインドなんだろう。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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実は、最初の頃の描写から、この作品はインド社会のきつい現実と向き合っていくような作品なのかなと構えて見ていたところ、なんかあまりにも無批判的なんで、これはどういうことなんだろうと思いつつ、最後のダンスシーンを見て、ようやくこれは娯楽作品として見ろってことなんだな、と納得した次第。さっきの髪の長いヒロインとの甘めのラブシーンを思い出し、これは失うもののない男が、決してあきらめない精神で、金も女も手に入れて「やったぜ」っていう話でいいんだな、と。成功・上昇を全面肯定する感じとヒロインのタイプが、なんか本宮ひろ志って感じだったんだけど…。

このラストのダンスシーンは凄い良かった。こうでなきゃって思った。ライフラインで「電話」が残っているので、オチはわかっちゃったけど、そうこなくちゃって感じだった。彼女が「私そんなの知らないわ。読んだことないもの」っていう台詞も気が利いていたし、彼女の声を聞いて主人公がもう賞金なんてどうでもいいやって境地になって正解を返すっていうのもいい。主人公のそれほど嬉しそうでもないふらついた表情とは、勝手なところでテレビを見て大歓声をあげている人々っていうのもいい。

ハッピーエンド。成功する側の幸福が、社会の矛盾や、仲間の不遇や、兄の死(常に自分を救ってきた)よりも偉い、つまり高い価値を見出されるような、負ける奴はそれはそれでしょうがないのだとみなす感じ。こういうのは社会が強い上昇志向でもってのしあがっていく背景だからこそ描けるドラマだと思う。高度経済成長下の日本だったらいくらでもありな話だったように思う。が、今の日本じゃ成功話をこういうためらいのない感じで描くというのは無理だろう。それはイギリスでも多分同じで、自国で描けない物語を今やジャガーも支配下におさめたインドで撮ってみました、って感じかな。

スラムのドヤ街の描写、ドブ河に浮かぶ大量のゴミ、その側を駆け抜ける子供たちの屈託のない笑顔。確かにこういう風景が日本にもあって、そういうバイタリティが社会を前進させていったのだとは思う。でも、この映画を観て正直、そういうバイタリティやエネルギーのようなものを感じつつも感じてはいけないのではないかという思いにとらわれた。だってこれは以前通ったことのある道だから。その先にあるものを知っている身で、勝利に邁進することを全面肯定し、他のあらゆる矛盾に眼をつむり、無心にバイタリティとかって言ってよいもんなんだろうか? むろんそのこと自体を否定をする気はさらさらない。否定する気がないのは、それが彼らの物語だからだ。彼らは彼らの物語を生きる必然があるし、彼らの口から彼らの正しさを語る資格があると思う。それが他所の国の、その先を知っている、勝利の影の部分を知っている人間がこうして遠慮もなく描くっていうのはどうなんだろう、自らの物語として語れなくなったユートピアを、他所の彼らに仮託しちゃっていいのだろうか? この物語は彼らに任せるべきで、自らが語るべき物語は他にあるんじゃないだろうか? 監督私より年上のくせしてどういう分別で、どういうことを描きたくてこれを描いたのよ、っていうところがやっぱり引っかかるのだ。

(評価:★4)

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