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[コメント] ダイアナの選択(2007/米)

露骨に作為を感じさせる美しさの画面は私の好みと完全に合致するものではないが、やはりパヴェル・エデルマンの造型するそれは多くの箇所で強く目を惹く。ロジャー・ディーキンスの『砂と霧の家』とは異なったルックも「露骨な映像美」という点では共通している。ヴァディム・パールマンの嗜好なのだろう。
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どんでん返しの在り方以上に、その全篇にわたる過度の緊張感が私に『シックス・センス』を想起させる。つまりは死の瞬間に見た「胡蝶の夢」的なフラッシュフォワードの物語ということなのだろうが、果たしてそれで物語の辻褄は合っていたのかどうか今ひとつ判然としないし(所詮は「夢落ち」のヴァリエーションなのだから辻褄を云々しても仕方ない、とも云えますが)、また語り方そのものへの好悪はあるにしても、こうした緊張感創出の腕前や、巻頭の数分間でエヴァン・レイチェル・ウッドエヴァ・アムーリが無二の親友になったことを示せている点など個々のシーンの出来も含め、パールマンの演出力については一定程度認めなければならないだろう。たとえどんでん返しがなくともドラマとして成立しているという点は、どんでん返し不要説とドラマ演出の確かさの評価を同時に導くが、私はとりあえず後者寄りの立場を取っておくということ。

また、たとえばウッドとアムーリが「選択」を迫られるシーンが「トイレ」で繰り広げられるということについても、空間の閉鎖性と水道を破壊することでもたらされる「噴水のように背景に水が散る」印象的な画面を自然な展開のうちに可能にするものであるという点で、よく考えられた場の選択である(もちろん、冒頭で述べたようにそれはいささか露骨なものでもあるのですが)。

 ユマ・サーマンのパートとウッドのパートでそれぞれ一回ずつカーラジオから流れ、そして中途で切られるのはゾンビーズの佳曲“She's not there”(彼女はいない)。遠回しな種明かしにしては少々安っぽいやり方か。

(評価:★3)

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