[コメント] むかしの歌(1939/日)
冒頭は、兵庫屋の建物から三味線と謡の声が聞こえる中で、ワケありそうな女が路地を歩いて来、足を止めて聞き入る場面。三味を弾いていたのが主人公で兵庫屋の娘−花井蘭子。花井の父親(店の主人)は進藤英太郎で、母親は三條利喜江だが、この母親は義母。花井の実母は、元は店の使用人だった人で、花井を生んだ後、行方知らずになっている。花井の出生は、もともと進藤の正妻である三條に子ができなかったから、使用人に子を作らせた、三條も納得ずく、という計画的なものなのだ。中盤、花井が、自分の存在は家系を絶やさないための道具に過ぎない、というようなことを吐露する場面がある。
さて、上に書いた関係性は序盤で我々観客にも分かるので、この冒頭のワケありそうな女−伊藤智子のことは、花井の実母なのだろうと想像がつく。また、序盤すぐに、唐突に伊藤の家のシーンが挿入される。夫は高堂黒天(国典)で没落士族。二人には娘がおり、山根寿子がやっている。高堂は、客の深見泰三から、西郷が立てば合流しよう、薩摩で会おう、というようなことを云われるが、金が無いことを嘆いている。父を見つめる娘の山根からドリーで引きながらティルトダウンして、前掛けを落とすところを捉えるショットが見事なショットだ。
あと、もう一人重要な人物がいて、花井の許婚である、四ツ橋の油問屋のボンボン−藤尾純だ。花井と藤尾が2人で歩くのを、堀(東横堀川か)の水に映して横移動で見せるショットが忘れがたい素晴らしいショット。しかもこのシーンの劇伴でグリーグの「ソルヴェイグの歌」が使われているのにも驚く。花井が「駆け落ちせえへんか」と云い「親が決めてる間柄やのに、何で駆け落ちせなあかんねん」「変わっててオモロイやん」みたいな会話が可笑しい。二人はとても仲がいいが、サバサバし過ぎているところもある。このシーンの直後に、花井と藤尾は、山根と出会うことになる。ということで、設定や梗概を記述するのは、これぐらいにしておこう。
本作も実にきめ細やかな演出を堪能することのできる佳編だと思うが、大阪らしい水辺や橋の風景の取入れも画面造型において効果を発揮しているだろう。例えば、花井と山根が川のほとりで会話するシーン。父母のことを思いやる山根を、羨ましいと云って泣く花井。あるいは、花井が藤尾に連れられて山根の家(実母の家)へ行くシーケンスで、途中、橋の上の高い俯瞰ショットが繋がれる。こゝで風車(かざぐるま)を売る小さな女の子を登場させるのも見事な按排ではないか。実母との再会場面では、それぞれにドリーで寄り、全く科白無しで、リアクションだけで理解する、という心震える演出だ。
そして終盤からラストも素晴らしい。西南戦争の勃発によって、兵庫屋が傾くだろうことは、中盤あたりで誰もが想像つくと思うので、ネタバレでもないだろうが、花井の流転の顛末と、しかし、屈託なく毅然としている彼女の度量の見せ方が、もうたまらないのだ。雪降る中、店の前での笑顔のショット。新町(花街)に向かう人力車に乗った花井の正面バストショットで後退移動する画面造型。前を見つめ、かすかに歌を口ずさむ花井の長いショット。なぜか、溶暗しかけて、また明るさが戻ることを繰り返す。それも含めて恐るべき演出だと思う。
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